第4回検討委員会議事要旨

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※本議事要旨は事務局が作成したものに各委員が発言内容の確認を行ったうえ、委員の申し出に従い修正を行ったものです。

第4期兵庫県県民生活審議会第4回県民ボランタリー活動促進施策基本方針に関する検討委員会議事要旨

1 日時 平成11年7月23日(金) 10:00〜12:00

2 場所 県立姫路労働会館第1会議室

3 出席者
(1) 委員  今田委員、草地委員、小室委員長、鳥越委員、中村委員、早瀬委員、速水委員、山内委員、吉田委員
(2) 事務局 武田生活文化部長、藤原生活文化部次長、大鳥生活創造課長
(3) 傍聴者 5名

4 議事
(1) 県民意見の募集結果について
(2) 団体ヒアリングについて
(3) 県民ボランタリー活動の促進施策の基本方針について
(4) その他

5 主な意見
(1) 県民意見の募集結果について
事務局:6月21日から7月20日まで県民ボランタリー活動促進施策基本方針に関する意見を募集したところ8名(男性2名、女性6名)から意見を寄せられた。今後の検討の参考としていただきたい。
(2) 団体ヒアリングについて
委員長:団体ヒアリングを行った結果について、各委員から報告していただきたい。
 @ 西宮コープ福祉・ボランティアセンター
委員:西宮コープ福祉・ボランティアセンターは、コープこうべ福祉ボランティア部の下部組織という位置付けだが、独立採算的に運営している。コープこうべは8ケ所の本部に各々ボランティアセンターがおかれていて、暮らしの助け合い活動という、いわゆる有償ボランティアとこのセンターに登録した一般ボランティアと二本立ての活動内容になっている。このセンターが震災をきっかけとして平成7年4月に設置されたこともあり、組合員以外の方も会員になっているが、基本的には組合員の組織である(会員:約700名、専従スタッフ:2名)。センターでは登録グループや会員に対してコーディネートをしているが、西宮市社会福祉協議会のボランティアセンターより規模が大きいこともあり、かなり独立的に活動している。

 A 西宮学生ボランティア交流センター
委員:西宮学生ボランティア交流センターは、震災の時に数多くの学生ボランティアが救援活動に立ち上がったのを受けて、ロータリークラブからの7000万円の寄附を基金にして西宮市内の10大学をベースに立ち上がった。インターネットによる情報提供と約200名の登録学生に対するマッチングを行っている。スタッフは2名で一人は市のOBである。現在は市の分庁舎に事務所をおいているのだが、将来的には西宮市のカレッジタウン構想に基づいて開設される学生交流センターに移転する予定である。行政の支援のあり方について尋ねたところ、行政と市民とボランティアが相互に協力し合うことを前提として、事業経費は自分たちで調達するから、人件費等間接的な経費を行政が負担し、かつ運営には口を出さないことが望ましいということであった。また、行政に対しては、「○○をしてはいけない」といわないこと、各種申請書等の簡素化を求めていた。今後、注目したいのは、活動資金をどうしていくか、また西宮北口に戻った時に、学生がセンターにどう関わって、どうボランタリーなネットワークや働きを自ら形成するかということだ。

 B 赤穂ボランティア協会
委員:昭和58年4月に赤穂市の福祉会館の開設をきっかけとして、それまでバラバラに活動をしてきたボランティアグループが集まって協会を設立した。当初は、福祉会館の中に事務所をおいていたが、市と社協の補助事業が活動の中心となってしまうのと、会館の管理面で使い勝手がよくなかったことなどから、外部の事務所で活動をするようになった。現在、市と社協からの補助金は当初の2分の1であり、市から無償で借りている事務所で、ボランティア活動のマッチング、毎年開催する交流イベント事業、各グループへの助成金の配分等を行っている。26加盟団体は協会と社協ボランティアセンターの両方に登録して活動をしており、協会から各団体へ1万円の活動助成及び研修事業等に対する助成を行っている。当初は、民間主導型で非常に良いスタートをきったのだが、現状のようにサラリーマンの事務局長とアルバイト1名の状況では、事務局主導型の活動はなかなかできにくい。こういうセンターにとっては、やはり、事務局スタッフが非常に重要であり、自主財源の充実が必要であると感じた。他の地域の団体とも個別にネットワークを組んではいるが、なかなか他の団体の活動情報等が入って来ないということであった。県の支援センターには、そういう情報の集約と提供、さらに研修機会の確保を求めていた。

 C 佐用町ごみ仲間
委員:佐用町は人口9000人、高齢化率が平均で27%の町である。県の生活科学センターの事業であるくらしのクリエーターの2人と婦人会活動をしていた1人の3人の女性が中心となって始めた活動で、町が事務局をし、町の保健センターを活動拠点としている。ごみの分別等ごみの減量化について関心をもったのをきっかけであり、生活の周辺からごみを出さない、捨てない、焼かないということをスローガンにして取り組んできた。空き缶の回収、店舗へのトレイ回収箱設置依頼、紙パックによる紙漉き、廃油を利用した石鹸づくり、リサイクル会による啓発事業等さまざまな活動に取り組み、現在はEMボカシによる生ゴミのコンポスト化に取り組んでいる。婦人会の組織がなくなっていたので、小中学校でリサイクル教室などの啓発事業を行うとともに、市広報や有線放送を活用して町民へ情報提供をした。活動の成果について、広域行政で行われているごみの量が十分に把握できないため、数量的な効果が把握できないのが課題である。また、若い人に活動に参加してほしいという意向があるが、なかなか参加してもらえていない。これは、集落ごとに積み上がっていく町のシステムが男性中心であって、女性の声が反映しにくくなっている。このように、女性が生活上の課題に敏感に反応しても、それが十分に広がっていかないシステムが農村部の女性の活動が行き詰まる原因ではないか。一方、町行政はこの活動に対して主導的にリーダーシップを果たしているというより、逆にかなり一体化していた。このため、グループの費用については年間10万円くらいしかかっていないが、現実には、町が支援している部分を計上していくとかなりの額になる。さらに、町から独立して活動することについては、自分たちの仕事が増えるので望んでいなかった。
委員:ここでは、これが行政の仕事の範囲を逸脱しているかどうかはわからないが、町が事務局をしてかなり深いところまで活動を支援していた。全国各地を見ても行政単位が末端に行けば行くほど、行政が住民活動の事務局をしたり、個人として事務局に関わるというのが非常に多くある。このように住民の活動に行政が関わることが行政の下請けにつながるという教条的な図式が必ずしも当てはまらない、逆に行政が住民の下請けをしている形が行政の末端に行けば行くほど随分ある。県の単位で行政と市民活動と言うと、大上段に振りかぶった議論になるのだが、活動を現地に下ろしていくことで本当に住民のためになる活動が行政と一体となってできるのかなと考えている。

 D 質疑応答
委員長:ヒアリング結果について、何か質問はないか。
委員:全体に共通している課題として財源の問題があると思う。補助金や寄附等をもらっていても、これが活動のプラスにはなるのだろうか。また、行政との関係については、先程の意見でまとめることができると思うが、学生は本当にボランティアと言えるのだろうか。
委員:率直に言うと同じ意見である。学生ボランティアの場合、事務局長は市のOBだが非常にしっかりしたスタンスを持っておられ、この方には問題はないのだが、学生のセンターへの関わり方、7000万円の基金と市行政との関わり方からすると、直接公金が使われていないとは言え、その他の支援の内容からすると、少しオーバープレゼンスではないかという気がしている。
委員:赤穂の場合も、やはりボランタリー活動というのはハングリーでないといけない。飢え死にしてしまってはいけないが、適度なハングリーさがないと上手くいかないなと感じた。しかし、資金助成をする仕事に携わったことがあるのだが、適度にハングルーにしておくというのは非常に難しいことだ。
委員:事務局を行政がしているから、行政が住民活動の下請けであるという見方もあるが、住民がお客様化しているという見方もあるのではないか。住民活動が主体化していないということであって、主体化すれば自分ですれば良いのに、なぜ行政が手伝うのだろうか。本来、行政がすべき仕事であったら行政がするべきだし、住民が良いことをしているからと言って行政が手伝って住民をお客様化することには違和感を感じる。結局、「市民」を主体とするということは、企画だけではなく、運営を推進する担い手としてどれかだけ関われるかということだと思う。そうしないと、いつまでたっても「市民」になっていけない。そういう構図があちこちにあるのではないか。
委員長:ご意見を踏まえて、これからもヒアリングを続けて行きたい。

(3) 県民ボランタリー活動の促進施策の基本方針について
委員長:資料3について、事務局より説明の後、とりまとめいただいた鳥越委員から補足してほしい。
事務局:【資料3について説明】(省略)
委員:資料3のスケルトン案をまとめるにあたっての基本姿勢は次のようなものである。一つは、兵庫県がすでにこういう形のものについては、ある種の実績を持っているので、それを大切にしたということだ。具体的に言うと、もともとあった生活創造の考え方を、ボランティア型に変形、又は発展させたものとしてボランタリーセクターという用語がでてきており、これを軸としたということ。二つ目は、条例をつくった時の考え方と同様、震災を経験した県として、ボランティアについては、他の県より一歩なり二歩踏み込んでも良いだろうということだ。また、三つ目は、当然のことだが、基本的な考え方はすべて委員会における委員の意見に基づいているということだ。
 また、スケルトン案と県民意見の募集結果を見比べたところ、印象に残ったという意見のあった「たくましいボランティア」という言葉は使っているし、リーダーの必要性も記述している。また、公共性を見直す必要があるという意見に対しても、当然考える必要があると思うし、「県民ボランタリー活動」ではなく「市民活動」という言葉の方が良いのではないかという意見についても、結果はどうであれ一度討議する必要があると思う。さらに、施策を細分化せず総合的な施策をということで、県民ボランタリー活動支援センター(仮称)構想と類似のセンターとの調整が必要であるという意見があるが、これを行政の縦割という欠点の指摘ではなく、施策の総合性・計画性が必要だという指摘に変えること。このようにすればスケルトン案と県民意見の内容は沿ったものになっていると考えられる。
 なお、スケルトン案の各項目について簡単に説明すると、まず「基本的な事項」としては、基本方針の性格を記述し、次に活動支援の範囲の問題、自主性・自発性の尊重、多様性・個別性の尊重、県と市町の支援のあり方としている。「機会の提供」に関しては、情報の提供という表現をやめて、一般的な情報ではなく有益な情報の提供にチャンネルを切り換える必要があるということ、多様なニーズに応じた講習会等の実施、交流の促進としている。「基盤の整備」に関しては、調査・開発等の推進、支援拠点の整備、ヒアリングでも明らかになっていたリーダーの養成、それと特色として,いわばNPO総務事務、経理や助成申請などの実務のための支援をあげた。これが必要かどうかは、議論していただいたら良い。この内容でおそらく、ここでの委員の意見を全部踏まえているとは思うが、気がついたことがあれば意見を言ってほしい。
委員長:県民の意見の中に、神戸の生活創造センターと県民ボランタリー活動支援センター(仮称)は行政の縦割であるという意見があるが、これはまったく違うわけで、整理しておく意味でも事務局の方から念のために説明しておいてほしい。
事務局:県では、県民生活審議会からの生活創造に関する答申、全県的な生涯学習中核センター(仮称)の構想、ボランティア活動の支援の拠点となる全県センターを整備する構想がある。それ以外に、例えば、女性の権利とか女性の問題には女性センターという全県センターをもっているが、それぞれ550万県民を対象とする全県的な中核機能という形で整備するものである。意見の出ている神戸の生活創造センターは、県内各地域で生活創造の拠点として、地域の生活創造を発露する場・促進する場として、あるいは地域の交流拠点、支援拠点として整備しようとする構想である。したがって、生活創造センターも県民ボランタリー活動支援センター(仮称)も全県的なセンターとして建設されるのではないかという誤解があるのではないかという気がする。生活創造センターは地域拠点であるため、神戸の生活創造センター、丹波の生活創造センター(丹波の森公苑)というところにあって、全県の中核センターからの情報の提供を受ける地域の受け皿であったり、生涯学習の具体的な講座の開設や情報提供をする場である。あるいは、ボランティアグループとか、生涯学習グループなど地域で活動をしておられる方々が交流する場でもある。こういう機能を持った拠点と、全県的な県民ボランタリー活動支援センター(仮称)とは自ずと違うと考えている。
委員:今の説明ではハッキリわからない。幾つかの場所に拠点を整備することはわかるが、女性や文化、生涯学習とかそういう働きや学びの中からボランタリーな市民の活動が生まれてくるのであり、そのセンターでなされるさまざまなプログラムや事業が、結果として、市民活動としてボランタリーなものを見いだすのであるなら、何が違うのかよくわからない。
委員長:委員会の委員の中でもわからなければ、一般の県民にもわからないだろうから、事務局からきちんと説明してほしい。
事務局:例えば、生涯学習中核センターという構想があるが、これは生涯学習が生活創造を支えるものとしてあるという前提で、生涯学習を続けていくことで新たなライフスタイルを目指し、新たなライフスタイルを目指していく過程でまた新たな学習意欲が湧いてくることから、これに対する支援として生涯学習と生活創造を表裏一体で循環的に展開しようというものだ。その場合に、いろいろな研究開発をするとか、全国レベル、地域レベルの講師リストをつくるとか、モデル的なカリキュラムや新しいカリキュラムメニューをつくるとともに、全県の地域拠点においていろんな活動を支援する生涯学習のブランチを支援する全県的な中核センターをつくろうというのが生涯学習中核センター(仮称)構想である。一方、地域の生活創造センターでは、具体的な住民を対象に講座を実施したり、生涯学習の成果を発露する発表会をやったり、自主的な生涯学習グループが情報交換を行う場として整備するもので、但馬・丹波の人が神戸まで行かなくても良いように、各地域毎に地域拠点として整備する。したがって、生涯学習中核センター(仮称)を神戸又は阪神地区に全県センターとしてつくるかもしれないが、具体的なサービスを受けたり、あるいは活動を展開する場としては、地域にそれぞれ展開しようとしている生活創造センターでやっていただこうという考え方だ。それから、ボランティアについても、県民ボランタリー活動の支援拠点として、県民ボランタリー活動支援センター(仮称)をつくるのだが、これは全県的なものとしてつくる。そして、センターフォーセンターとして、地域の支援拠点をネットワーク化する中核的な拠点になるというイメージである。ここでも県内各地域でボランティア活動を行う方が神戸まで来て情報をもらうというのではなく、それぞれの地域の支援拠点である生活創造センターで具体的な活動や交流を行って行けば良いという考え方でわけている。やはり、広大な面積を抱える兵庫県の特殊性や地域特性を生かした形で地域展開をしていくため、我々は地域拠点と全県拠点と機能をわけながら、効率的に、あるいは全県的な展開をしていきたいと考えている。
委員:機能的にわけたということだが、地域におりていった時に、地域では具体的に担うのは、みな一人の同じ人だ。それをヒアリングの中でも意見として聞いたのだが、いろいろセクションが増える度に役が増えて忙しくなってしまい、本来の活動の妨げになるということだった。今の説明の中は、生涯学習とボランティアをわけながら、それぞれ推進するセンターの構想と地域の支援拠点としての生活創造センターの構想があるということであったが、実は生活創造も生涯学習もボランタリー活動も、地域では一緒の人が担っている。しかも、細かくわけることによって、地域でのいろいろ世話が増えていくということは丸見えだ。しかも、同じような機能のもののをつくることの弊害は、赤穂で見た事例はまさにそうで、自発的に始まったボランティア協会が、震災後に社協ボランティアセンターをつくることによって、権限の取り合いになってしまい、地域活動が逆に停滞してしまったという事例を見た。まさにそのようなものがまた出来ようとしているのではないかという懸念を持った。
事務局;誤解のないように申し上げたいが、生活創造センターは、住民の方々に使っていただく場をつくろうというものだ。だから、○○運動を起こして、地域の方にお願いしますというような下請け先を探すのではなく、文化活動も、消費者活動も、環境活動も青少年の育成も地域でいろんな方々が活動されておられるが、そういった方々の活動の拠点、交流の拠点、あるいは情報交換の場として、生活創造センターを用意しようということである。先程は、その例示の一つとして、生涯学習をとりあげた。つまり、生涯学習を展開するにあたっても、それぞれの県域で、例えば高齢者向けの生涯学習、環境等さまざまなジャンルのカリキュラム等さまざまな展開の仕方が予想されるが、それを地域で独自にカリキュラムをつくったり、情報収集したり、資料をつくるのは大変なので、それを支援する生涯学習中核センターをつくって、全県的な視野で企画開発するのだという説明をした。一方で、具体的に地域で活動をする場所というのは、地域につくる生活創造センターを使えば良いのではないか。
 それから、生活創造センターで展開するものが、全部県民ボランタリー活動かと言うと、生涯学習という学習という行為はボランタリー活動を支えるものではあろうが、それ自体はボランタリー活動ではない。例えば、絵を描く日曜画家クラブというのが出来て、絵を描く行為がボランタリー活動かと言われると、必ずしもそうではない。ただし、生活創造活動でくくると、これに生涯学習の学びもボランタリーな活動も全部含まれてしまうということで、まして、県民ボランタリー活動の概念で、生活創造の概念が全部くくれるものではなく、もう少し幅広いものだと思っている。したがって、概念的にも生活創造センターはもう少し幅広いとご理解いただきたい。
委員:こればかりに時間をとるわけにはいかないのだが、一つは、県民ボランタリー活動支援センター(仮称)の議論をしていた時に、これはセンターフォーセンターということで、さまざまな生活創造センターと連携をとったり、逆にそれが前提になっていたと思う。要は、このことをバラバラにして問題として指摘をしているだけだ。それと、生涯学習とボランティア施策は行政施策上のフィクションみたいなものであって、本来は裏表のものだ。要は、センターが少なくて、活動する場所がなくて困るというのではなくて、どんなものでも使えるのなら良いと思うのだが、逆に過剰投資ですごく余ってしまうのは無駄なので、運用上の柔軟な対応を期待したい。
委員長:こういうことで良いだろうか。
委員:少し違う観点から生活創造とボランティアの問題を議論をしたいと思う。つまり、概念の問題で、これについては、市民、県民含めてごちゃごちゃになっているので、ここのところをはっきりしないと、ボランタリー活動の支援についてもわからないと思う。おそらく、生活創造という概念の中にはボランタリー活動も入る包括概念だと思うのだが、ボランタリー活動というのは、主体的能動的な市民活動という、公共性という言葉はあまり好きではないが、社会の問題に何か市民が参加していくというものではないのか。ここのところをハッキリする必要がある。逆に言うと、今、ここで合意しても仕方がないが、ボランタリーな活動でできるものを通じて、県民一人ひとりが認識してもらわないと、とんでもないボランティア活動賛美論になってしまう。敢えて、もう少し過激な発言をすると、批判があるかもしれないが、震災の後に出てきたボランタリーな動きの中でも、本物のボランティアと偽物のボランティアがあると思う。今まで豊かになる  ためにあくせく働いてきた人たちが、豊かになって暇も時間もあるけれども、ちょっと違うと感じてする自己実現活動、つまり、何かやってることで自分が幸せなんだという自己満足や自己実現ということと、ボランタリー活動ということを誤解しているのではないか。震災の時は、必然的に困った人がいたし、助けを求めている人がいたから、行政だけではできない中で、何かできないかということで若い人もやってきた。そこで、やってみてよかったという実感をもった人もいたのかもしれないが、今のように平時にもどってしまうと、そんなに困った状況はもうない。しかし、福祉の分野では誰かがやらないといけないものがあるのだが、ここでボランタリーサービスの提供について、受け手とやっている人との関係は、有償であれ、無償であれプロフェッショナルでないといけない。あるいは、人的サービスでない分野、環境だとか、ごみの問題だとか、これも一つのボランティアである。別に困った人がいるわけではないが、何かやるという時にはプロフェッショナルがいる。そういう話をどけてしまって、何か、活動に突入しているのが嬉しい、幸せだという議論があるが、そこを否定しないで、サポートしてくれというのは問題ではないか。
委員:「県民ボランタリー活動」という言葉が、やはりミスリーディングのところがある。生活創造活動よりも範囲が狭いというのは何となくわかるのだが、ボランティア、あるいはボランティア組織ということを指しているかというと、必ずしもはっきりしていない。この条例を見ると、いわゆる無償のボランティアだけではなくて、いわゆるNPO法のNPOあるいは特定非営利活動にかなり近いのではないかと思う。県民の方のご意見でも、多少そのことが誤解されている面がある。基本方針をつくる時に、この「県民ボランタリー活動」という言葉自体、この概念がどの範囲までを意味するのか提示したら良いのではないか。言葉自体を変えることについては、もう条例の中で「県民ボランタリー活動」という言葉はでてきているし、さらに言葉を変えると誤解の上に誤解を重ねることになるので、この県民ボランタリー活動という言葉についてきっちり定義したら良いのではないか。
委員長:この「県民ボランタリー活動」という言葉の問題は基本にかかわることだ。県民意見のような発想で県民に受け止められ、役所がまた同じような仕事をするという見方をされると、我々の作業そのものも非常に虚しい。この検討委員会での議論は、県民にとって非常に大切なことだということで、この仕事を引き受けているわけだが、基本に関わるところがどうも少しずれているようなので、機会を見てこれについて議論をしたい。
 議論を元にもどして、資料3の3ページだが、基本方針の骨格をつくろうということで、左側にこの検討委員会で出た意見を鳥越委員と事務局で整理していただいた。右側に、左には出なかったが他県で出ているコンセプト、用語を入れているが、まず、第一に、項目のくくり方、つまり、基本方針の性格、活動支援の範囲、自主性・自発性の尊重、多様性・個別性の尊重、県と市町の支援のあり方、それから、有益な情報の提供、多様なニーズに応じた講習会等の実施、交流の促進、調査開発等の推進、支援拠点の整備、リーダーの養成、実務のための支援、次に、推進体制の整備、さらに時代の要請による対応(フォローアップ)、こういう柱が出ているわけだが、これについてまず議論いただきたい。
委員:基本的にはこういう枠組みだろうが、特に次のような項目が必要だと思った。一つは、支援という言葉を若干分析した方がよい。具体的に言うと、支援という言葉には三つの段階があって、一つは、そもそもその活動の性格を認知すること、特性を認知し認めることだ。それから、活動にもいろんなバリアーがある。それを主体的に活動しやすいようにいかにバリアーを外すかということ。三つ目は、助成をしたり、事務所を無償で提供したりというスポンサードだ。どうも支援について議論している場合に、一番目の認知の関連の表彰や、三番目のスポンサードに重点がいきすぎている感じがする。それに関連して、バリアフリーの方で、特にポイントとして、民と民の連携のバリアーをもう少しとるという議論が必要ではないか。例えば、資金的な支援は行政がするというのではなく、NPOに対する支援というのは本来、まあ憲法89条の議論にしても、公の支配に属しない団体に対してお金を出さないということなので、要は民間の団体は民間からの支援で動けという理念だと解釈できる。共同募金などもその関係でできたのだが、福祉分野だけに特化している。寄附の文化等いろいろな問題があるが、もう少し民と民との連携をどうするかということだろう。もう一つは、行政と民との関係でも、今の補助金のあり方をどう見直すか、今の県民意見でもあったが、いわゆる随意契約が結構あるのではないか。福祉関係の補助金でも、社会福祉協議会にいくのが結構あるわけだが、個人的には、その辺をもう少し競争的にして、新興勢力のNPOに対する事業助成のバリアフリー化を図ることが大事ではないかと思っている。
委員:ヒアリングをしてきた中身から考えると、団体の存続という場合、社会のニーズで存続なのか、メンバーのニーズで存続なのか、どっかの都合で存続なのか、その分け方をはっきりしておく必要がある。それともう一つは、グループの場合、その人がいなくなるとグループがなくなるというのは、今までも随分あったのではないか。要の人がいなくなる、活動できなくなると終わりとなるが、よく頑張った、なくなったなということを認めてやることも必要ではないか。
 それと、リーダーの養成の必要性を認めているのだが、どんなリーダーなのだろうか。リーダーについては、いろいろなところで養成しているが、実際にはなかなかリーダーが育って来ない。リーダー養成カリキュラムが少なかった時代は、そこで理論的なものを学んで活動に生かす人が多かったが、いろんなところで学習できる機会ができるようになると、良い所取りする人がでてくる。そういう養成の仕方ではなく、本来、リーダー養成というのがどうあるべきなのかということをおさえておかないと、単にリーダー養成の期間を修了した人たちを増やすだけで、活動に結びつけていくことが非常に難しいと感じた。
委員:具体的な表現の仕方をお聞きしたい。活動を無理に押しつける必要はないし、そこで終わってしまうのも、ご指摘のとおりだが、どう書けば良いか。どう書けば、それを基本方針の中に書けるのだろうか。
委員:自己実現のための活動と社会のニーズに求められている活動では、随分違いがある。どう表現したらよいのかというのは非常に難しいのだが、これを個人の問題として捉えた時、自分で起こした活動であり、無理やり続ける必要はないし、誰かに無理におしつけるものではないということだが。
委員:その通りだが、どうすれば書けるだろうか。
委員:機会の提供及び基盤の整備に関する事項だが、具体的にはこれを担当する組織として県民ボランタリー活動支援センター(仮称)が構想されているわけで、そこでやるべき事業は、交流、調査開発、研修ということである。この構想との平仄をあわすという、おそらく内容的には合っていると思うが、その辺を考える必要がある。
委員:確認なのだが、支援拠点の整備というところで、「県民ボランタリー活動支援センター(仮称)の整備を推進する」と義務のように言っているが、これにプラスして何か書くという意味なのか。
委員:拠点整備という場所の問題と支援の内容を整理するということだ。全県的な県民ボランタリー活動支援センター(仮称)に関する記述と、各地域拠点の記述も必要になると思う。この拠点としての支援センターの記述と、支援センターで支援する情報の提供や学習などの内容は違うものではないか。
委員:今の指摘の地域の拠点の記述を入れたら良いというのはそうだろうが、県民ボランタリー活動支援センター(仮称)の支援の内容はここに書くべき性格のものではないということか。
委員:そうだ、ここでは書くべきものでないと思う。
委員:ソフトの方の問題は、実務のための支援とか、有益な情報、開発の促進とか、交流の促進とかあるが、ここではどう書くのか。
委員:支援センターの構想は、支援センターでするべきことが出ているので、その辺のところと矛盾をしないように、合わせておく必要があるということだ。
委員:活動支援の範囲に入るのかどうかわからないが、支援の仕方として、ヒアリングを通じて農村部と都市部と随分違うと感じた。しかし、これは別物ではなく、ある種の発達段階の違いかなとも思った。発達段階に応じた行政の関与の方法もあるということで、そういう段階に応じた支援ということを入れて欲しい。
委員:農村と都市と比較した時に、どちらかが遅れているという取扱いは、大変注意深くしないといけない。農村部では、農業や漁業が持っている生産構造上の問題があって、十分に自分の意見が言えないというか、言わないのが常識なのである。その人たちが発想として遅れているのかというと、必ずしもそうではない。ただ、指摘されているような意味で、女性の地位がまだ低いことがあるというのも事実だが、ストレートに都市・農村発展段階と書いてしまうと少し言い過ぎではないか。結局、個別性の尊重ということで、農村の論理の中で考えていくのか、都市の論理で考えるのか、発展段階論でいくより個別性論でいってはどうか。
委員:小さな団体を支援した2年間のプロセスの中で、団体の発展段階に応じて、関与度を小さくしていくことで自立度が高まって、自立が可能になるというのを見てきた。それと同じような大がかりなシステムが農村と都市の間であるのではないか。
委員:農村・都市というのを外して組織を見たときには、発展段階というのはありうる。しかし、発展という時には必ず基準がある。この場合は、自立という基準だったかと思うが、これを基準とした発展段階を考慮する必要がある。
委員:つまり自立とは、活動場所も独立し、意思決定も、人事も、お金についても独立した決定をしているということだ。それと確かに、ボランタリー活動は、自己充足的な側面と、社会の課題解決的側面をあわせもっていて、それも片面が強く現れすぎるタイプの人とか、両方バランスの良い人がいるが、この活動は、自己充足型と課題解決型、課題解決タイプと自己充足タイプの大きい両方の側面を持っているということを入れたら良いのではないか。
委員:機会の提供、基盤の整備のところだが、ここでは情報の提供が機会の提供の方にあるが、それではハローワークというか、ボランティアの職安みたいになってしまう。ボランタリーセクターの社会的ニーズと言うか、社会的必要性みたいなテーマを探して調査をし、企画立案して、そういうボランタリーな活動の必要性を、社会的・戦略的に組み立てるような場面が必要ではないか。実際、それがボランティア活動の機会の提供になると思うので、そういう意味での書き加えが必要ではないか。
(4) その他
委員長:資料1の条例第6条第2項第1号の「県民ボランタリー活動の施策の推進に関する基本的な事項」と第2号の「県民ボランタリー活動の機会の提供及び基盤の整備に関する事項」がどちらかと言うと今回の意見の中心になっており、第3号の「県民ボランタリー活動の促進のための施策を推進するにあたり配慮すべき重要事項」、第4号の「前3号に掲げるもののほか、県民ボランタリー活動の施策に推進に関する重要事項」、ここのところは非常に薄い。まだ、字句がでていないので、次回は、第3号、第4号あたりを今までの議論を踏まえて、少し柱を出していただきたい。もちろん、第1号、第2号に関する議論を行っても構わない。鳥越委員、申し訳ないが、事務局に協力させるので、まとめの方をご協力お願いしたい。
(5) 閉会



seikatsusouzouka@go.phoenix.pref.hyogo.jp



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