第151号 知事対談 (令和3年2月9日対談)

<知事対談>ふるさと兵庫で夢を叶える~兵庫への移住~

はじめに

今回は「ふるさと兵庫で夢を叶える~兵庫への移住~」をテーマに、移住支援や空き家を活用した地域づくりに取り組まれている tanomo株式会社代表取締役の牛飼勇太さんと 一般社団法人Be代表理事の中川ミミさんに、知事と語り合っていただきました。

自己紹介

中川 私はエチオピアで生まれて、1歳の時に丹波市に家族で移住し、幼少期を過ごしました。アメリカの大学を卒業後、夢だった国際協力の現場で10年ほど働きました。世界中の災害や紛争の跡地、東日本大震災の現地にも入り、住宅支援の活動をしていました。
 日本国内で活動したいと思っていた時に、丹波市移住相談窓口で住まいを起点にしたまちづくりや地域活性化を図る「地域おこし協力隊」の募集を聞きました。相談を重ねる中で、地域で頑張っている若い世代の人たちと出会い、この地でならやっていけると思い、2015年に協力隊に着任しました。

牛飼 私は岸和田、堺で育ちました。美容専門学校を卒業後、大阪市内の美容室で働いていましたが、24歳の時に父親が他界したのをきっかけに、生きることについて探求心が湧き、日本一周やアメリカ横断、タイを放浪したりしながら、色々な場所の色々な人の生き方に触れました。
 帰国後は自然の中の生き物に触れたいと思い、六甲山の保養所施設を紹介いただき、住むようになりました。愉快な仲間も集まり、共同生活が始まりました。野生動物と人が共に生きる貴重な体験をしました。


芦屋などでの個性的なシェアハウス事業

知事 牛飼さんはその後、芦屋に移られたんですよね。

牛飼 はい。シェアハウスが面白く、事業として取り組みたいと考えるようになりました。山が好きなので、芦屋の山手の方に良い物件を見つけ、シェアハウスと、1階は有機野菜を売る小売店にしました。シェアハウスのメンバーはその有機野菜を食べ放題にして、店で売れ残った物をみんなで食べ、フードロスがない形を作りました。それ以来、兵庫県でシェアハウスを6軒運営していたんです。

知事 どこで運営していたのですか。

牛飼 神戸市北区鈴蘭台や灘区青谷町、宝塚などです。

知事 どのような方々が利用されていましたか。

牛飼 それぞれ少しずつ違ったコンセプトがあります。例えば灘区では、神戸大学の学生や卒業生が中心でした。その他の物件は20~30代で、男女の比率は同じ位だったと思います。人と交流するのが好きな人たちが集まっていました。

知事 シェアハウスはプライバシーを保てるのですか。

牛飼 はい。それぞれ個室があって、共有のリビングやキッチンがある形です。

知事 自分の生活パターンは作れるんですね。

伝統工芸品の作り手を支援するシェアハウス

中川 私もシェアハウスをしています。伝統工芸品である「丹波布」の織り手さんが、研修のために日本全国から来られるのですが、住む場所が少ない状況でした。丹波布発祥の地にある古民家で、地域の様子を知ってもらい、地域活動をしながら暮らせる場所を提供したいと思い、スタートしました。私のシェアハウスは「ルーム」という名前です。

知事 シェアハウス「ルーム」、すてきな名前ですね。

中川 “織機”という意味をもつ英語の“Loom”を掛けています。現在3名の方が入居されています。

知事 中川さんのシェアハウスも牛飼さんと同じような構造ですか。

中川 そうです。施錠ができる個室があります。木造の古民家だったので、母屋を改造しました。都会から移り住まれる方は、隙間がある家を寒いと感じたり、湿気を調節する土壁に慣れなかったりします。「田舎に来たから仕方がない」とはならないように、ワークショップ形式で仲間を募り、心地よく暮らせる住まいに造り替えました。

知事 シェアハウスに住みたい人は都会の方が多いのですか。

中川 丹波市内のシェアハウスはIターンの方が多いです。古民家を買って移り住んだり、住居兼店舗を構えて事業を始めたりされています。

加東市へ移住後の暮らし

知事 牛飼さんは芦屋から加東に引っ越しされましたね。

牛飼 はい。六甲山や芦屋の家はコンクリート造りで、築50年を超えると雨漏りなど支障が出てきました。木造で築100年以上の古民家であれば、使い方次第でまだ100年、200年使えます。神戸から1時間圏内でそのような物件を探し、加東市の東条地域に見つけました。地域で選んだというより、良い物件があって、行ってみたらとても良い地域だったんです。
 この地域の隣保の名前である「笠小屋」という地区名がすてきだなと思いました。赤い傘が立っているイメージが湧いたんです。“かさ”にはイタリア語で“家(CASA)”という意味もあります。
地域の方々に「播磨CASAGOYA」という名前で、シェアハウス事業をしたいと事前にお話しをしたところ、快く受け入れてくださりました。

知事 地域の人から見ると、牛飼さんもシェアハウスに住む人も、よそから来た人ですが、違和感や葛藤はなかったですか。

牛飼 あまりなかったです。というのも、数名の40代の方が地域の方との間を取り持ってくださり、説明する機会を作ってもらいました。近くに新興住宅地や工業団地があるので、外から人が入ってくることに慣れている地域なのかもしれません。

知事 地域の方につないでいただくことが非常に重要だったのですね。

牛飼 すごく大切なことですね。有り難かったです。

知事 “CASAGOYA”という名前は分かりましたが、tanomo株式会社の名前の由来は何ですか。

牛飼 “tanomo”は「暮らしを楽しみましょう」という意味です。僕自身のモットーでもあります。

丹波市での移住支援活動

知事 中川さんは地域おこし協力隊の経験から、法人を立ち上げて地域おこしをさらに進められたようですが、一般社団法人Beの“Be”は何を表しているのでしょう。

中川 これはbe動詞の“Be”で、「ある、存在する」という意味です。私の好きなガンジーの言葉に「Be the change」という言葉があります。世の中に何か変革を求めるなら、あなた自身がその変化になりなさいという意味です。
 私たちは、地域おこし協力隊として地域に移り住んで活動します。つまりその地域の住民の一人になります。地域を担う一員として、どういうことをすべきかを考えていきたいという思いを込めました。

知事 どのような活動をされていますか。

中川 協力隊として赴任した時は、空き家バンクの立ち上げが主なミッションでした。その後、少しずつ業務内容を広げ、空き家、仕事、暮らしの情報などを集約して、移住希望者に情報提供をしています。移住を決められた時には、地域の方との橋渡し役をしたり、移住後は順調に暮らすために交流会をしたり、先輩移住者を紹介したり、一元的に行っています。協力隊の任期が終わった後も、その役割がまだ必要とされていましたので、当時の仲間と法人を立ち上げ、今も継続しています。

知事 仲間の方々はどんな仕事をされていますか。

中川 移住相談員として相談対応をする人もいれば、古民家の建築設計をする人もいます。私はYouTubeチャンネルで丹波市の魅力を発信していますが、その撮影クルーもいます。様々な人たちが、丹波市からの委託事業「たんば“移充”テラス」という業務を回しています。

加東市で移住支援活動をスタート

知事 牛飼さんは加東市でどのような活動をされていますか。

牛飼 加東市から移住・定住サポーターという役割をいただいています。移住希望者の窓口として問合せに答えたり、地域を案内しています。最近では、オンラインイベントでも加東市の魅力を発信しています。北播磨県民局主催の移住イベントにも出演しました。北播磨には魅力的な地域がたくさんあることを発信し、興味を持たれた方に各市町でアピールする流れを作りたいと思っています。面白いプレーヤーさんと連絡を取って、一緒にイベントに出演するなど輪を広げているところです。

知事 移住について、昨年1年間でどれくらい効果がありましたか。

牛飼 加東市の移住・定住サポーターは、昨年4月からスタートしましたが、コロナ禍で移住促進はしばらく休止していました。昨年11月にオンラインイベントを2回実施し、関心を持たれた参加者と継続して連絡を取っています。

知事 コロナ禍で「密も良いことばかりではない」と皆さん気づかれて、東京にある兵庫県の移住相談窓口では相談件数が増えています。

移住者と受け入れる地域への支援

知事 中川さんの地域への支援事業ですが、難しかった経験はありませんか。

中川 地域で長くお住まいの方と、私たちのように外からの視点で物を見る人との間に、地域課題に対する認識の差がありました。人口減少や高齢化で困っているという声を聞きますが、何がどう困っているのか、どれぐらいのスピードで対応しないといけないのかなど、自治会や自治協議会の方々と細かく話をして、その差を縮めていきました。移住者の受け入れ、空き家を有効活用する計画、地域の計画策定をお手伝いしながら、移住者と地域住民が心地よく暮らせるまちづくりを一緒に考えています。

知事 仕事が見つからず、生活基盤が不安定だと移り住めない気がしますが、移住者はうまく仕事を見つけておられますか。

中川 他の地域も同じだと思いますが、コロナ禍で就職が難しい状況です。私たちの窓口を介して移住される方々には、地域内で就職先を見つけたり、起業したり、自分だけでなく家族を養っていくための支援をしています。その目途が立つまで対応しますし、少しでも不安があれば「もう少し待ってください」とストップをかけます。

知事 自立できそうになったら、いらっしゃいということですね。牛飼さんはいかがですか。

牛飼 私も事業者の支援をしており、起業の支援ができます。仕事を選ばなければ、求人の方がやや多い地域なので、地域が気に入れば、まずは就きやすい仕事に就いて、それからやりたいことを育てていくという形でも良いと思います。

知事 ところで町内会の活動の中には、清掃などその地域に暮らす上での義務がありますよね。それが移住者には慣れなくて、苦痛に感じるという声を聞きますが、どうなのでしょうか。

中川 私も毎月1回は自治会での活動をしています。移住希望者には、都会と田舎の違いについて説明しています。都会の場合は地域清掃などを行政が担っていますが、丹波市のような地域では、これらを住民が担っています。そして、それらが重要であることについても理解を促しています。掃除や草刈りを一緒にすることがきっかけで、この仕事を頼みたいとか、この人を紹介してあげたいといった、人とのつながりや触れ合いが生まれるんです。これらも田舎暮らしの楽しみ、醍醐味ですので、ご希望するライフスタイルに合っているのなら、丹波市は良いところだとお伝えしています。

知事 牛飼さんはいかがですか。

牛飼 私もコミュニケーションの一つだと思っています。お茶を飲みながら色々な話をするなど、楽しく貴重な時間です。子どもを連れて行くと、皆さんすごく歓迎してくださり、一緒に歩いているだけで喜んでくださるのです。

今後の抱負

牛飼 一つ目は、この古民家の隣にある8,000㎡の里山の敷地に、今年は手を入れたいと思っています。
カブトムシもいる自然豊かな雑木林を、里山アスレチックや公園のように、いつでも子どもが遊びに来て良い場所にしたいと思っています。僕が大事にしている「自然と共に生きる」ことを体験してもらえたら嬉しいなと思っています。
 二つ目に、都会と地方、それぞれの良さを掛け合わせていくことができたらいいなと思っています。私はほぼオンラインで仕事をしていて、大阪市など他地域の事業者支援も家にいながら行っています。都市部と地方との橋渡しができると、双方にとってすごく良いのではないかと思います。

知事 オンラインでほぼ全ての仕事をこなすというのは、最先端ですね。

牛飼 先ほどまで子どもとお風呂に入っていたのに、10分後にはミーティングをしているということがよくあります。楽しくやっています。

知事 中川さんはいかがですか。

中川 コロナ禍でなければ、各地から人を集めて、農業体験や地域を見ていただき、古民家を改修していくツアーを始める予定でした。人と人が直接集まったり、都市部との間を行き来することが難しくなったので、オンラインに切り替えるなど工夫をして進めています。次回の移住相談イベントでは、海外からの参加者も予定しています。私たちが丹波にいるからこそ見せられる世界を、移住希望者に提案していきたいと思います。
 また、移住者を迎え入れる地域の人たちへの支援を進めていきたいです。地域住民自らが、町にどれぐらいの空き家があるのか、どの空き家を移住者に提供するのかなどの情報を収集し、自分たちの町をどうしていくのか考える。そういった動きへの働きかけをしていきたいと思っています。

知事 ありがとうございました。お二人とも、地域間の交流を促し、地域おこしの先達として活躍されています。今後もぜひ、兵庫県への移住・定住者を増加させる一翼を担っていただきますよう心からお願いするとともに、ご活躍をお祈りします。コロナに負けないで、頑張ってください。