ひょうごンターキャンパス コミュニティ 邪馬台三国志
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   六根清浄と智慧の源流
 


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ヒミコの墓の変遷

纏向勝山古墳の発掘

箸墓古墳と大型建物跡



鳥見山麓での郊祭

桜井茶臼山古墳


倭国、倭奴国の国のかたち
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王朝の変遷
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伊勢神宮の祭祀変遷
 令和5年9月25日

仙桃を手にする和風西王母
西王母 鎮魂祭 橘右近


新ヤマト・出雲・邪馬台の三国志
(平成六年、新人物往来社から自費出版)
 立ち読み
目次

神武即位・桜井茶臼山

での郊祭
   

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「倭人伝」の国々

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   ヒミコ最盛期の支配地
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220年代前半〜ヒミコの朝貢


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240年代前半〜250年代前半

250年代後半〜280年代

主要人物の推定年代(令6年3月改)


倭の女王ヒミコの一生(令6年3月)

女王ヒミコと分身瀬織津姫
            (令6年3月)
瀬織津姫厳之御魂天疎向津媛
            (令6年3月)
 高天、日前邪馬台国
 遷座または天降る人物

邪馬台国天之国・高天系の対立

西都勢(日隈・日前・和国)、
東都勢(日高見国)の興亡

伊勢神宮の祭祀変遷(令6年3月)
  や  ま  と
 邪馬台三国志 高田康利 明石市松ヶ丘
 水田稲作の始まり〜大和朝廷成立までの歴史物語
 司馬遷の信念  あらすじ(令6年3月)

王朝の変遷 大和朝廷の成り立ち 中国と倭国の王朝変遷は瓜二つ
                      (令6年3月)


 箸墓古墳の変遷   歴代ヒミコの墓 (令6年3月)

  纏向遺跡と出現期大型前方後円墳  神門五号墳説明版要旨
                         (令6年3月)
   神武天皇の郊祭(鳥見山霊畤での郊祭)  桜井茶臼山古墳
                         (令6年3月)
 邪馬台国の興亡〜大和朝廷成立までの歴史 詳細  pdf文書


邪馬台国はどこか/火瓊瓊杵の日前国西都/天火明の日高見国東都
             (令6年2月改)
 王朝の変遷2/年表  本書の王系譜1 本書の王系譜2

 本書の王系譜6  本書の王系譜7  本書の王系譜8(令6年3月)

 倭国大乱と瑞穂邪馬台国の勃興(令6年3月)

 倭国大乱素戔嗚の八俣大蛇退治に関わる人物の足跡(編集中)
 ヒミコの都、副都伊都国(吉野ヶ里)/三雲・井原・平原遺跡の実情
                                         (令6年3月)

 吉野ヶ里遺跡の変遷(令6年3月)

 古代史の常識や通説を歴史的観点から丹念に検証していくと、
 戦前から信じて疑うことのなかった「皇統万世一系」も、
 戦後に「倭国は小国の百余国が分立し。百余国を束ねる王朝など一切存在しなかった」
 と教えられたことも、全て誤りと断言できます。実のところは、
  縄文晩期、呉太伯ら子孫が北九州に建てた天之国は、前三世紀の倭国王朝、一世紀の
 倭奴国王朝、大乱後の高天、南九州の日隈・日前・和国の名で再興された後、
 三○一年(辛酉元年)、大和朝廷として蘇ったのです。
  倭国大乱〜大和朝廷成立の概略は、こうでした。
  大乱(一八五年頃)後、倭奴国は東の唐古に都する邪馬台国、日向高千穂宮の高天に分裂。
  二二○年代、高天の火瓊瓊杵が薩摩吾田に降臨して日隈・日前再興。続いて
  高天の天照大御神が纏向に遷座し、邪馬台国・高天の双方から倭女王ヒミコに共立された。
  二七○年代、火瓊瓊杵跡継ぎの火火出見が日前を和国に改名。
  二八○年代中頃、和王磐余彦が日向から東征し、二九八年に火明饒速日率いる邪馬台国
  (日本朝)を打倒。三○一年(辛酉元年)元旦、橿原宮で大和朝廷の初代天皇(神武)に即位
 本書では、「記紀」系譜を本来あるべき姿に正した上で、歴史物語化しました。

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  大乱後〜280年代の情勢(png画像)  pdf文書  (令5年10月改)



            海幸彦・山幸彦神武天皇(磐余彦)、神功皇后日本武尊にまつわる伝承(令5年10月)








 纏向型と呼ばれる出現期大型前方後円墳(令5年11月)   発掘結果 箸墓古墳と纏向大型建物跡

   ホケノ山古墳と箸墓古墳<古墳時代、ここに始まる>(橿原考古学研究所)




                      近年の発掘結果  桜井茶臼山古墳(鳥見山麓の霊畤、まつりのにわ






        熊野権現(山王、牛頭天王、大穴持、倭大物主、天照大神、八岐大蛇、伊勢大神) (令5年10月改)


                             太陽(日)神と牛頭天王の源流(pdfB4版4p、令5年10月)








               王朝変遷の詳細(令5年11月改)          歴代王朝の詳細(令5年10月)

   歴代王朝の都出先副都仮宮(令5年10月)    邪馬台国時代の都副都仮宮(令5年10月改)

                             歴代王朝の都東の副都王墓B4版5p(令5年9月改)

          水田稲作の伝播天之国期、オロチ厳之国王朝期、倭国王朝期、伊都国王朝期)(令5年10月)


 



 通常、天照坐皇大御神荒御魂は、
天照大御神荒御魂(天照大御神の荒々しい神格の御魂=天照大神荒御魂)とされるが、
本書では、天照皇太神荒御魂(天照皇太神妃=瀬織津姫)、
天照大神荒御魂(天照大神妃=瀬織津姫)、
天照大御神荒御魂(天照大御神分身=瀬織津姫)の総称と捉えている。

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 天孫三人天孫饒速日、天孫彦火明(天火明) 、天孫火瓊瓊杵〕(令5年10月改)
































                                  邪馬台国時代のいちはら-市原市

 
 女王の即位/銅鐸の放棄/日高見国/神門古墳群/天火明の東都  画像をクリック⇒高千穂宮の所在地




280年代中頃〜290年代末 画像をクリック⇒拡大    290年代末 日本朝滅亡〜神武即位〜鳥見山斎場での郊祭

  邪馬台国が見えた。邪馬台史を歴史物語に。
 『ヤマト・出雲・邪馬台の三国志』 を25年以上にわたり、何十回となく大幅改訂し、『邪馬台三国志』の
「歴史物語編」と「解説編」を綴りました。 その物語部分を抜粋して、「邪馬台三国志」を編集しました。

 神仙の国・蓬莱郷づくり、水田稲作、常世づくりから、邪馬台国の興亡、大和朝廷の成立に至る歴史物語
 および解説。その中でも邪馬台国史は、中国の三国志、日本の戦国期・幕末をはるかに凌駕する歴史です。
 前五世紀から倭国大乱まで、那珂つ国と天之国(天地)、オロチ厳之国、倭国(高天、天之国+日高国)、
 豊葦原中つ国、伊都国、倭奴国(天地、倭国+豊葦原中つ国)の王朝が続いた。  大乱後、南九州に逃れた
 倭奴国末裔と邪馬台国が覇権を争った末に、火瓊瓊杵末裔の磐余彦(神武)が日向から大倭に東征して、
 火明饒速日率いる邪馬台国〔厳之国王朝、天(厳)之国王朝、日本朝に発展〕を討ち、大和朝廷を打ち立てた。


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 ヤマト(九州)は東海以西を治めていたが、二世紀末、大和の三輪氏が邪馬台を建て反乱した。ヤマトは敗れ日向に遷った。
 天照大御神は日向から大和に遷座して女王に立ち、日向王朝と対立する。三世紀末、神武は邪馬台を討ち大和朝廷を開く。
  邪馬台国の幕開けは、南北朝時代と酷似する。三輪氏は足利尊氏と同じく覇権を奪い、大和に別王朝を建てた。
 神武東征も、薩長の討幕と瓜二つの歴史だ。神武は邪馬台を討ち、敵本拠に遷都した。イザナキ神功の「記紀」物語には、
 邪馬台史実が隠されている。この時代、日向と大和に王朝が並立するが、「記紀」編者は、これを万世一系に塗り替えた。
  ☆物語中で、桜井茶臼山古墳が四世紀初めの古墳だと主張。二○○九年の再調査でズバリ的中。

執筆中『邪馬台三国志』ヒミコの邪馬台国 (B6版)  <楽天kobo> <bookwalker>
執筆中邪馬台国三十三所謎巡り1 (B6版)
   
  
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 縄文中期、中国五帝期の黄帝一門が北九州に渡来して、地の神を称える那珂つ国を建国した。ついで、
 水田稲作の始まる前五世紀前半呉の太伯・呉王夫差(周王朝につながる姫氏姓)ら子孫が九州西北部に
渡来し、天(太陽、日)を奉る天之あめのを興した。両者は手を携えながら、天地と銘打って畿内まで進出した。
前四世紀後半、夏后帝少康・越王句践子孫の越オロチ族が渡来し、蛇神を崇める厳之いつの王朝を開いた。
 秦始皇帝が天下統一した前三世紀後半、天之国は朝鮮半島から渡ってきた周系韓一門の日高国と手を組み、
ヤマト高天王朝を共立した。こうして、厳之国は東海や北陸に、倭国も仙台平野まで水田稲作を広げた。
次に豊葦原中つ国王朝(漢族の豊国+オロチ葦原家中つ国が共立)更にオロチ系伊都いつ王朝が興った。
 光武帝が漢朝を再興した頃、倭国豊葦原中つ国と盟約して天地あめつちなる倭奴ヤマト王朝を建てた。
だが一八〇年代、畿内の副都を治める皇太神が三輪氏らオロチ勢と共謀して、邪馬台やまと厳之国王朝
天(厳)之国王朝日本やまと王朝に発展〕を建て、倭奴国を南九州熊襲に追い払った上に、倭の呼称も奪った。
大乱後、高千穂宮に閉じ込められた天之国宗女の天照大御神(日神)は、国名を天之国、高天と語る他なかった。

 二二〇年代、天孫火瓊瓊杵を薩摩に降臨させた天照大御神は、大倭纏向宮に遷座して倭女王ヒミコに立つと、
鬼道を操って蛇神を崇める国体の上に、高天系の日の神祭祀をおっかぶせた天(厳)之国王朝に模様替えした。
 一方の天孫は、笠沙に都して日隈ひのくまを興した後、日向の西都市妻に遷都した。この国は、日前ひのくま
ひのまえヤマトに発展したが、「倭人伝」や「記紀」は、投馬つま国、狗奴国、熊曾、熊襲としか記さない。
 二八〇年代中頃、和国を継承した磐余彦が日向から東征した。十数年後の三世紀末には大倭磯城に攻め入り、
火明饒速日(海幸彦、火明、火瓊瓊杵の長男)率いる日本朝を倒し、大和朝廷倭奴国+大倭国)を樹立した。
ここに、天照大御神の切望してきた倭国王朝並びに倭奴国王朝の再興がようやく叶った。
 『邪馬台三国志』歴史物語編には、最初に水田稲作を始めた天之国倭国高天王朝倭奴国王朝日本朝
大和朝廷の名で、何度も蘇ってきた顛末が歴史物語(37万字)として事細かに綴られています。

 視点を変えて眺めると、こんな見方のできる歴史でした。
「前五〜前四世紀、戦国中国の覇権争いに敗北して、日本列島に逃げ込んできた呉王夫差と越王句践の子孫らは、
二〜三世紀の倭国大乱や邪馬台国末期に至るまで延々と覇権争いを繰り返してきた。その結果、戦国中国の歴史
とは正反対に、呉の太伯・呉王夫差末裔の天之国が天下を制して、盤石の大和朝廷を築き上げたのです」

 『史記』、「末弟の季歴(文王)が優れた素質を持ちあわせ、その児・昌(武王)の出生時に瑞兆が現れたことで、周太王は、『我が子孫
 で栄える者があるとすれば、それは昌であろう』と言った。これを耳にした嫡子の太伯は、太王が末弟に相続させたがっていると悟ると、
 次弟と一緒に荊蛮(南の異民族)の地に逃れた」
 ☆ 『史記』によると、夫差は、荊蛮の千余家に担がれた太伯が自国を句呉と称して以来、二十;余代目にあたる。
 『晋書』や『魏略』逸文、「(倭人は、呉の)太伯(周太王の長男、姫氏姓)の末裔と自ら言う」
 『史記』「越王句践世家」、「句践の先祖は禹王の末裔、夏后帝小康庶子である。会稽に封じられた後、禹王の祭祀を勤めとさせられた」
 「倭人伝」、「夏后小康の子は会稽に封ぜられると、髪を切り、体に入れ墨して蛟竜の害を避けた。倭の水人(海士)も海に潜って
   魚貝を捕え、体に入れ墨して大魚・水鳥を払いのける」
 ☆越都のあった紹興近くには、今も禹を蛇神として祀る廟が残るという。
 『史記』「韓世家」、「韓の歴史を遡ると、その公室の先祖は、周と同じく姫氏を姓とした。(前七世紀中頃)、これにつながる韓武子が晋
   (周分家、始祖は周成王の弟・唐淑虞)献帝に仕えて韓原(陜西省)に封じられ、三代後の韓厥が封地にちなんで韓氏と語り始めた」
 『旧唐書』「倭国日本伝」、「倭国は古の倭奴国なり。・・その王、姓は阿毎あめ氏なり」、「日本国は倭国の別種なり」、
   「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」
 『後漢書』「倭伝」、「建武中元二年(五十七年)、倭奴国、貢を奉じて朝貢す。倭国の極南界にあり。光武、賜うに印綬を以ってす」
 『隋書』「倭国伝」、「漢の光武の時、使を遣わして入朝し、自ら大夫と称す。安帝の時、また使を遣わして朝貢す、これ倭奴国という」
 ☆平安朝の頃、『日本書紀』講習会での質疑、「この国が姫氏国と呼ばれるのは、なぜか」

 渡来人らの築きあげた弥生史は、魂の再来・古の善政再現・孫子の「戦わずして勝つ」に挑戦した歴史
でもありました。本書では、これらが複雑に絡みあって織り成す歴史が、詳細かつ読みやすく分かり易く
まとめられています。特に、高天原による葦原中つ国平定・神功皇后の新羅遠征・日本武尊の北伐など、
戦わずして勝った英雄伝は、「三国志」をはるかに凌駕して、世界に誇れる歴史だったが、「記紀」系譜は、
神武―崇神―;応神とあるべきところに、神武―崇神の間に大日本家八代(綏靖〜開化)を挟み、
崇神―応神の間に垂仁・景行・成務・仲哀の邪馬台国王四代を割り込ませて、皇統万世一系に改ざん
されたのです。本書の王系譜は、これを本来のあるべき姿に正したものです。

 「記紀」本来の王系譜  以下の王系譜では、「記紀」のおかしな話や矛盾だらけが自然と消滅する。
  日神の天照大御神―火瓊瓊杵―火火出見―神武(始馭天下天皇)―;崇神(初国知らしし天皇)―;応神
 邪馬台国の天皇、邪馬台国方の大倭(大日本)王
  天照大神 垂仁饒速日天火明火明饒速日の三代、在位99年)、景行
  綏靖 ― 安寧 ― 懿徳 ― 孝昭 ― 孝安 ― 孝霊 ― 孝元 ― 開化 ― (崇神)
 「神」の諡のつく天皇、及び「始馭天下(ハツクニシラス)、初国知らしし」と呼ばれる二人の天皇こそ、
 古代人が後世の人たちに王系譜解明を託した暗号ではなかったか。

 『邪馬台三国志』の「歴史物語編」および「解説編」では、司馬遷の信念や和辻哲郎氏の説の下、「記紀」
などの資料、「倭人伝」など中国史書、各地の伝承、神社の縁起、地名の由来、考古学成果、中国・インド・
西アジアの歴史・宗教・習俗に基づきながら、古代史の謎を総体的に検証して解明し、それをつなぎ合わせて
長編の歴史物語に組み立てると同時に、そのつど謎を検証できるようにと綴りました。言わば、量子物理学の
解法である帰納法にならい、大系的かつ長編の物語を通して自説の立証を試みた次第です。





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  『邪馬台三国志』 (全)                B6版457p
  『邪馬台三国志』 古代史の常識と通説を疑え B6版398p
 『邪馬台三国志』天照大御神(ヒミコ)と素戔嗚尊神武天皇日本武尊 B6版300p
     乱世を鎮めた英傑たちの生涯   (『邪馬台三国志』から抜粋して編集)
 『邪馬台三国志』戦わずして勝った英雄列伝                   B6版177p
     素戔嗚尊の大蛇退治/高皇産霊の葦原中つ国平定/神功皇后の新羅遠征/日本武尊の北伐

      


 【倭奴国王朝誕生〜大和朝廷成立に到る歴史のあらまし】
金印の委奴(倭奴)国王倭奴国王朝の初代女系天神・天常立に婿入りした豊葦原中つ国王・国常立。初代倭奴国王
倭国大乱一八〇年代中頃(熊野家を率いた伊奘諾の治世)に勃発した天下分け目の戦い。畿内の邪馬台国が勝利。
女王ヒミコ日神の天照大御神(向津姫)。六代女系天神の宗女として糸島平野平原で誕生し、熊野家で養育された。
狗奴国の男王卑弥弓呼(ヒミココ)ヒミコの子孫で、熊襲も従えた天孫火瓊瓊杵
景行・仲哀・日本武の熊襲征伐、神武東征日本(やまと)王朝と日前・和(ヤマト)王朝の覇権争い
神武(磐余彦)即位辛酉年の三○一年元旦。この日に大和朝廷が誕生

 【邪馬台国】   【高天(日高+天之国)、狗奴国(熊襲、日隈、日前、投馬国、和)王朝   相互への天降り】
     「倭人伝」、(狗邪韓国から)はじめて一海を渡り、千余里にして対馬国に至る。また、一海を渡ること千余里、・・一大国に至る。
                   また海を渡り、千余里にして末盧国に至る。東南に陸行すること五百里、伊都国に至る。
                   東南して奴国に至るまで百里。
         (狗邪韓国から)南して投馬国に至る、水行二十日。
         (狗邪韓国から)南して邪馬台国に至る、女王の都する所にして、水行十日、陸行一月。
          奴国ありて、女王国の境界の尽くるところなり。其(奴国)の南に狗奴国ありて、男子を王と為す。女王に属さず。
 





 
 
 

   大乱後の情勢











  『但馬故事記』、「饒速日は勅と十種の神宝を奉じて妃の天道姫・数多の随身を率い、丹波の真名井原に天降った後、
  河内生駒に天降った。天道姫が丹波で産んだ児を天香語山、そのまた児を天村雲という」
  『先代旧事本紀』国造本紀、「珍彦は火火出見の孫で、神武朝に導士の功によって大倭国造となった」    
  これに加え、天香語山が天照大神のひ孫にあたる饒速日と天道姫の児、高倉下とする。
  【籠神社の伝承】、「海部宮司家四代目の祖・珍彦は、神武東遷の折、亀にのって現れ、大和へ先導した。
  建国の功労者として、倭宿禰の称号を賜った」
  「神武紀」は、熊野に上陸した磐余彦が高倉下助太刀の下で熊軍を撃退したとし、東征の道案内に功のあった
  珍彦(椎根津彦)に対しては、「天皇、功を定め賞を行いたまう。倭の国造とす」と伝える。
  「神功紀」では、武振熊は神功の将軍。

 【王朝の変遷】 

@A縄文後期から終末期にかけて、五帝期の地の神・黄帝につながる那珂(中)つ国/呉の太伯・夫差ら
子孫の天之(あめの)が連合して、天地(あめつち)が興った。
B前四世紀後半、夏后帝小康・越王勾践末裔の厳之(いつの)国王朝(越のオロチ族)に、
C前二二○年代に天之国/韓族の日高国からなる(ヤマト)国王朝に、
D続いて漢族の豊国/葦原家(厳一門)/中つ国の組む豊葦原中つ国王朝に移り変わった。
Eついで越オロチ族の伊都(いつ)国王朝に、
Fさらに一世紀前半には、倭国豊葦原中つ国からなる天地(あめつち)、即ち倭奴(ヤマト)国王朝へと変
遷した。
 一八〇年代前半、大倭の副都を治める太子・豊受皇太神が三輪氏と組んで邪馬台国なる厳之国王朝
を立て、天照大神と語って水天神に昇った。倭奴国は出雲での決戦に敗れて日向に逃れた。
 二二〇年代前半、高千穂宮(高天の原)で日神に担がれていた天照大御神は、大倭に遷座して邪馬台
国[厳之国、天(厳)之国、日本(やまと)王朝に変遷]の女王に立ち、日向のヤマト王朝[天之国から日前、
(ヤマト)王朝に変遷]と対立した。
G二八五年〜二九〇年代末、和王磐余彦(神武)は倭奴国王朝を再興すべく日向から東征して日本王朝
を討ち、三〇一年(辛酉)元旦に大和朝廷を打ち立てた。
 三〇四年二月、神武は鳥見山の祭場(桜井茶臼山古墳)で封禅さながらに郊祭して日神・高皇産霊を皇
祖皇宗に奉り、その教えに永久に従うことを誓った。
  記紀の矛盾を正して本来あるべき王系譜に組み替え、物語風に書き上げました。その筋書は「倭人伝」
・各地の伝説・古社の縁起・地名の由来と一致して、王系譜も丹後籠神社所蔵の海部氏系図(国宝)や、
『播磨国風土記』の記述と合致します。


  
 TU 那珂つ国+天之国の策封体制        東と西の土器分布                    V 厳之国王朝の策封体制
   
 W 倭国王朝の策封体制               X 豊葦原中つ国王朝の策封体制          Y 伊都国王朝の策封体制
 
 Z 倭奴国王朝の策封体制 

 歴代王朝の都/出先、副都、仮宮
 


   






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 邪馬台(やまと)三国志 (全)  <パブー><アマゾン kindle>(B6版457p)
   司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、倭奴国と邪馬台国の生い立ち、
   互いに覇権を争いあった歴史、その末に大和朝廷が成った歴史を物語化しました。
    古代史の常識や通説を歴史的観点から検証していくと、戦前から信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後に「百余国を束ねる王朝など存在し
   なかった」と教えられたことも、誤りです。邪馬台国史の全貌がとんと解明できない原因は、ここにあります。一から考え直して、再構築する以外にありません。
    大陸の古い歴史を背負ってきた渡来人たちが築きあげる上古の歴史は、魂の再来・古の善政再現・孫子の「戦わずして勝つ」の実現に挑戦した歴史でも
   ありました。それらが織り重なって流転する様子は「三国志」をはるかに凌駕して、世界中に誇れる歴史だったのですが、記紀系譜は、
   神武−崇神−応神とあるべきところに、神武−崇神の間に大日本家八代(綏靖〜開化、大日本王)を挟み、
   崇神−応神の間に垂仁・景行・成務・仲哀の邪馬台国(日本朝)王四代を割り込ませて、万世一系に改ざんされてしまいました。
    本書の王系譜は、これを本来の姿に正したもので、国宝に指定された海部氏系図と合致します。これに沿って事跡を並べ替えると、一世紀前半に始まる
   倭奴国王朝すなわち天地(あめつち)の誕生秘話、大乱前後の状況、女王ヒミコの生涯、大和朝廷誕生の経緯がくっきりと浮かび上がってきます。

 邪馬台三国志 倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語 <パブー><アマゾン kindle>((B6版383p) 
 邪馬台三国志 倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰(短縮編) <パブー><アマゾン kindle>(B6版297p) 
 邪馬台三国志 古代史の常識と通説を疑え <パブー><アマゾン kindle>(B6版398p) 
   古代史を丹念に検証していくと、学校で教わったことも、常識・通説とされることも間違いだらけと分かります。邪馬台国の歴史がとんと解明できない原因は、
   ここにあります。一から、考え直す以外にありません。この考えと司馬遷の信念の下、水田稲作の開始から、天地、厳之国、倭国、豊葦原中つ国、伊都国、
   倭奴国の王朝が興ったことや、大乱後に倭奴国本家と邪馬台国が天下を争った末に大和朝廷が興る歴史を解明し、壮大な物語に綴りました。弥生史は
   過去の善政再現とともに、孫子の兵法極意「戦わずにして勝つ」の実現をめざした、世界に比類の無い歴史です。その筋書も、「三国志」を超越しています。
     【あらすじ】水田稲作が縄文晩期の那珂(なか)つ国に伝わってから、大和朝廷の成立まで、那珂つ国と天之国(あめのくに)、厳之国(いつのくに)、倭国、
    豊葦原中つ国、伊都(いつ)国、倭奴国(ヤマト、天地)の六つの王朝が続いた。
    一八〇年代中頃、出雲で天下分け目の決戦に敗れた倭奴国王朝は、南九州の高天〔日高と天之国〓倭、日前、和(ヤマト)〕と畿内邪馬台国
    〔厳之国、天(厳)之国、日本(やまと)〕に割れて覇権を争った。
    一八五年、日向を発った東征軍が十数年後に日本朝を倒し、辛酉年(四〇一年)元旦に大和朝廷を開いた。

 邪馬台三国志 記紀と倭人伝の正しい解釈/邪馬台国盛衰記 <パブー><アマゾン kindle>(B6版320p)
   本書では司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、伝承・神社の縁起、地名の由来、考古学成果を織り交ぜながら、神武即位が三〇一年、日神の
   天照大御神がヒミコに転身、大乱勃発が伊奘諾期の一八〇年代だと多角的に立証した上で、真の王系譜と史実に迫る道のりを順序立てて綴りました。
   同時に、天璽と神璽、素戔嗚の英雄伝、神功の英雄伝、日本武の出自、伊勢神宮の祭祀変遷、天璽の鏡・剣の変転等についても史実をとことん探求し、
   そのつど検証できるように綴りました。
    次に、その結果を総集して短編の歴史物語、『邪馬台国盛衰記』としてまとめました。言うなれば、理路整然とした論考と歴史物語、量子物理学の解法・
   帰納法を介して、自説の立証を試みた次第です。論考と物語を読み進む中で、そのつど神武実在・日神がヒミコに転じた顛末等に納得されるはずです。

 邪馬台三国志 天照大御神(ヒミコ)と素戔嗚尊神武天皇日本武尊 (『邪馬台三国志』から抜粋して編集)
          乱世を鎮めた英傑たちの生涯 <パブー><アマゾン kindle>(B6版300p)
   倭奴国王朝六代女系天神・天之尾羽張神(向津姫の母か祖母)の御代、即ち伊奘諾政権期の一八〇年代に、東の副都を治める皇太子(向津姫の
   婿養子)が三輪オロチ族と組んで反乱した。伊奘諾は大軍を率いて東征したが、逆に北九州を蹂躙され、本拠の熊襲に逃げ込んだ。
   ここに皇太子率いる畿内の邪馬台国、高千穂郷を天宮(天上にあるごとく装った都)とする高天(倭国、天之国+日高国)の王朝が並立した。
    百年後、日向から東征した磐余彦(神武)は、邪馬台国の日本朝を倒して倭奴国王朝を再興し、大和朝廷に名を改めた。この間に大活躍して太平の
   世に導いた英傑たち、日神の天照大御神(向津姫、ヒミコ)、素戔嗚尊、神武天皇、日本武尊の生涯をつぶさに綴りました。

 邪馬台三国志 戦わずして勝った英雄列伝 (『邪馬台三国志』から抜粋して編集) <パブー>(B6版177p)
          素戔嗚尊の大蛇退治/高皇産霊の葦原中つ国平定/神功皇后の新羅遠征/日本武尊の北伐
      孫子曰く、「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして敵兵を屈服させるのが善の善なるものなり。故に、上兵は謀を伐つ」
   倭奴国王朝六代女系天神の御代、即ち伊奘諾政権期の一八〇年代、東の副都を治める皇太子がオロチ族と組んで反乱し、邪馬台国を立てた。
   出雲の決戦で敗れた伊奘諾は、本拠の熊襲に逃げ込んだ。百年後、日向から東征した磐余彦(神武)は、邪馬台国の日本朝を倒し、大和朝廷を開いた。
   この間に、孫子の兵法極意「戦わずして勝つ」・「刃に血塗らずして敵を平伏させる」をみごと遂げた英雄たちの偉業を仔細に綴りました。


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