【伊勢神宮の祭祀/天璽の鏡・剣の変転】
この物語の締めくくりとして、伊勢神宮の祭祀変遷、天璽の鏡・剣の変転についてまとめました。物語と見比べていただきたい。
(1994年1月、新人物往来社から発刊)
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邪馬台三国志 ダイジェスト版 <パブー><アマゾン kindle>(B6版120p)
邪馬台(やまと)三国志 (全) <パブー><アマゾン kindle>(B6版457p)
司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、倭奴国と邪馬台国の生い立ち、
互いに覇権を争いあった歴史、その末に大和朝廷が成った歴史を物語化しました。
古代史の常識や通説を歴史的観点から検証していくと、戦前から信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後に「百余国を束ねる王朝など存在し
なかった」と教えられたことも、誤りです。邪馬台国史の全貌がとんと解明できない原因は、ここにあります。一から考え直して、再構築する以外にありません。
大陸の古い歴史を背負ってきた渡来人たちが築きあげる上古の歴史は、魂の再来・古の善政再現・孫子の「戦わずして勝つ」の実現に挑戦した歴史でも
ありました。それらが織り重なって流転する様子は「三国志」をはるかに凌駕して、世界中に誇れる歴史だったのですが、記紀系譜は、
神武−崇神−応神とあるべきところに、神武−崇神の間に大日本家八代(綏靖〜開化、大日本王)を挟み、
崇神−応神の間に垂仁・景行・成務・仲哀の邪馬台国(日本朝)王四代を割り込ませて、万世一系に改ざんされてしまいました。
本書の王系譜は、これを本来の姿に正したもので、国宝に指定された海部氏系図と合致します。これに沿って事跡を並べ替えると、一世紀前半に始まる
倭奴国王朝すなわち天地(あめつち)の誕生秘話、大乱前後の状況、女王ヒミコの生涯、大和朝廷誕生の経緯がくっきりと浮かび上がってきます。
邪馬台三国志 倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語 <パブー><アマゾン kindle>((B6版383p)
邪馬台三国志 倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰(短縮編) <パブー><アマゾン kindle>(B6版297p)
邪馬台三国志 古代史の常識と通説を疑え <パブー><アマゾン kindle>(B6版398p)
古代史を丹念に検証していくと、学校で教わったことも、常識・通説とされることも間違いだらけと分かります。邪馬台国の歴史がとんと解明できない原因は、
ここにあります。一から、考え直す以外にありません。この考えと司馬遷の信念の下、水田稲作の開始から、天地、厳之国、倭国、豊葦原中つ国、伊都国、
倭奴国の王朝が興ったことや、大乱後に倭奴国本家と邪馬台国が天下を争った末に大和朝廷が興る歴史を解明し、壮大な物語に綴りました。弥生史は
過去の善政再現とともに、孫子の兵法極意「戦わずにして勝つ」の実現をめざした、世界に比類の無い歴史です。その筋書も、「三国志」を超越しています。
【あらすじ】水田稲作が縄文晩期の那珂(なか)つ国に伝わってから、大和朝廷の成立まで、那珂つ国と天之国(あめのくに)、厳之国(いつのくに)、倭国、
豊葦原中つ国、伊都(いつ)国、倭奴国(ヤマト、天地)の六つの王朝が続いた。
一八〇年代中頃、出雲で天下分け目の決戦に敗れた倭奴国王朝は、南九州の高天〔日高と天之国〓倭、日前、和(ヤマト)〕と畿内邪馬台国
〔厳之国、天(厳)之国、日本(やまと)〕に割れて覇権を争った。
一八五年、日向を発った東征軍が十数年後に日本朝を倒し、辛酉年(四〇一年)元旦に大和朝廷を開いた。
邪馬台三国志 記紀と倭人伝の正しい解釈/邪馬台国盛衰記 <パブー><アマゾン kindle>(B6版320p)
本書では司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、伝承・神社の縁起、地名の由来、考古学成果を織り交ぜながら、神武即位が三〇一年、日神の
天照大御神がヒミコに転身、大乱勃発が伊奘諾期の一八〇年代だと多角的に立証した上で、真の王系譜と史実に迫る道のりを順序立てて綴りました。
同時に、天璽と神璽、素戔嗚の英雄伝、神功の英雄伝、日本武の出自、伊勢神宮の祭祀変遷、天璽の鏡・剣の変転等についても史実をとことん探求し、
そのつど検証できるように綴りました。
次に、その結果を総集して短編の歴史物語、『邪馬台国盛衰記』としてまとめました。言うなれば、理路整然とした論考と歴史物語、量子物理学の解法・
帰納法を介して、自説の立証を試みた次第です。論考と物語を読み進む中で、そのつど神武実在・日神がヒミコに転じた顛末等に納得されるはずです。
邪馬台三国志 天照大御神(ヒミコ)と素戔嗚尊/神武天皇と日本武尊 (『邪馬台三国志』から抜粋して編集)
乱世を鎮めた英傑たちの生涯 <パブー><アマゾン kindle>(B6版300p)
倭奴国王朝六代女系天神・天之尾羽張神(向津姫の母か祖母)の御代、即ち伊奘諾政権期の一八〇年代に、東の副都を治める皇太子(向津姫の
婿養子)が三輪オロチ族と組んで反乱した。伊奘諾は大軍を率いて東征したが、逆に北九州を蹂躙され、本拠の熊襲に逃げ込んだ。
ここに皇太子率いる畿内の邪馬台国、高千穂郷を天宮(天上にあるごとく装った都)とする高天(倭国、天之国+日高国)の王朝が並立した。
百年後、日向から東征した磐余彦(神武)は、邪馬台国の日本朝を倒して倭奴国王朝を再興し、大和朝廷に名を改めた。この間に大活躍して太平の
世に導いた英傑たち、日神の天照大御神(向津姫、ヒミコ)、素戔嗚尊、神武天皇、日本武尊の生涯をつぶさに綴りました。
邪馬台三国志 戦わずして勝った英雄列伝 (『邪馬台三国志』から抜粋して編集) <パブー>(B6版177p)
素戔嗚尊の大蛇退治/高皇産霊の葦原中つ国平定/神功皇后の新羅遠征/日本武尊の北伐
孫子曰く、「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして敵兵を屈服させるのが善の善なるものなり。故に、上兵は謀を伐つ」
倭奴国王朝六代女系天神の御代、即ち伊奘諾政権期の一八〇年代、東の副都を治める皇太子がオロチ族と組んで反乱し、邪馬台国を立てた。
出雲の決戦で敗れた伊奘諾は、本拠の熊襲に逃げ込んだ。百年後、日向から東征した磐余彦(神武)は、邪馬台国の日本朝を倒し、大和朝廷を開いた。
この間に、孫子の兵法極意「戦わずして勝つ」・「刃に血塗らずして敵を平伏させる」をみごと遂げた英雄たちの偉業を仔細に綴りました。
★『邪馬台三国志』と本サーバの著作権は、高田康利に 帰属。
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ブログ BIGLOBE-『邪馬台(やまと)三国志』を検証してみよう 〈古代史の常識と通説を疑え〉
1〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉1 2〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉2 3〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉3 4〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉4 5〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉5 6〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉6 7〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉7 8〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉8 9〈天之国/倭国/倭奴国の生い立ち〉9 10〈水穂(瑞穂)国〉
11〈伊都国/倭奴国の王墓〉 12〈記紀の天地創造神話〉 13〈『後漢書』の倭奴国/金印「漢委奴国王」〉1 14〈『後漢書』の倭奴国/金印「漢委奴国王」〉2
15〈仏教の伝播〉 16〈倭奴国王朝と天竺のかかわり〉1 17〈倭奴国王朝と天竺のかかわり〉2 18〈漢字の伝来時期〉1 19〈漢字の伝来時期〉2
20〈『先代旧事本紀』〉 21〈古代国家と宗教〉1 22〈古代国家と宗教〉2 23〈記紀の王系譜〉 24〈記紀系譜の復元〉 25〈伊奘諾の治世〉
26〈大八洲国〉 27〈淡路のオノゴロ島〉1 28〈淡路のオノゴロ島〉2 29〈伊奘諾の愛児・熊野櫛御気野〉1 30〈伊奘諾の愛児・熊野櫛御気野〉2
31〈熊野権現〉1 32〈熊野権現〉2 33〈大乱前後の大陸情勢/国づくり目標〉 34〈邪馬台国の誕生〉 35〈倭国大乱の発端〉
36〈天下分け目の決戦〉 37〈伊奘諾の南遷〉 38〈邪馬台国の水火の天神〉 39〈熊曾(熊襲)〉1 40〈熊曾(熊襲)〉2
41〈伊奘諾の禊払い〉 42〈二人の天照大(御)神と天神祭祀〉 43〈根の堅州国〉 44〈五皇子と三皇女の交換〉 45〈素戔嗚の乱暴〉
46〈天石窟前で鋳込んだ青銅祭器〉1 47〈天石窟前で鋳込んだ青銅祭器〉2 48〈素戔嗚の放逐〉 49〈八俣の大蛇〉1 50〈八俣の大蛇〉2
51〈素戔嗚と大己貴と猿田彦〉 52〈葦原中つ国〉 53〈天日槍の来襲〉 54〈高皇産霊、高天の原に現る〉 55〈忍穂耳・天孫饒速日の降臨〉1
56〈忍穂耳・天孫饒速日の降臨〉2 57〈武甕槌が葦原中つ国に派遣された理由〉1 58〈武甕槌が葦原中つ国に派遣された理由〉2
59〈大己貴(大国主)の国譲り〉1 60〈大己貴(大国主)の国譲り〉2
61〈天孫〉 62〈忍穂耳の再度降臨〉〉 63〈火瓊瓊杵の出現〉 64〈火瓊瓊杵の降臨 〉1 65〈火瓊瓊杵の降臨〉2
66〈火瓊瓊杵の降臨〉3 67〈日の御子・瓊瓊杵が火瓊瓊杵と語った理由〉 68〈薩摩吾田に降った理由〉 69〈日神の畿内遷座〉1 70〈日神の畿内遷座〉2
71〈天御舎/日隅宮・杵築大社・出雲大社〉 72〈女王ヒミコ〉1 73〈女王ヒミコ〉2 74〈蛭子〉 75〈火瓊瓊杵の三皇子、火照・火スセリ・火遠〉
76〈垂仁皇子の誉津別〉 77〈皇子の交換〉 78〈ヒミコの朝貢〉1 79〈当時の大陸情勢〉1 80〈当時の大陸情勢〉2
81〈ヒミコの朝貢〉2 82〈魏帝鏡〉 83〈海幸彦と山幸彦の争い〉1 84〈海幸彦と山幸彦の争い〉2 85〈海幸彦と山幸彦の争い〉3
86〈邪馬台国と狗奴国(日前、熊襲)の抗争〉1 87〈邪馬台国と狗奴国の抗争〉2 88〈邪馬台国と狗奴国の和睦〉 89〈火明饒速日の降臨〉
90〈日本国の建国〉 91〈倭姫の伊勢巡行〉 92〈五十鈴宮(斎宮、磯宮、渡会宮)〉 93〈卑弥呼以に死し、大いに冢を作る〉
94〈ヒミコの宗女・壱与(台与)を王と為し〉 95〈一都七道制の実施〉 96〈可愛山陵・端陵/男狭穂塚・女狭穂塚〉 97〈磐余彦の誕生〉
98〈女王トヨの朝貢/七枝刀献上〉 99〈邪馬台国の天神、天照国照彦火明饒速日〉 100〈日本武尊誕生の秘話〉
101〈倭迹迹日百襲姫の墓〉 102〈火火出見の英断〉 103〈景行の熊襲征伐〉1 104〈景行の熊襲征伐〉2 105〈磐余彦火火出見〉
106〈磐余彦の東征仕度〉 107〈仲哀の熊襲征伐〉1 108〈仲哀の熊襲征伐〉2 109〈天下は一つ、家は一つ〉1 110〈天下は一つ、家は一つ〉2
111〈東征出立〉1 112〈東征出立〉2 113〈五代目女王倭姫〉 114〈神功の新羅遠征〉1 115〈神功の新羅遠征〉2
116〈八幡(応神)誕生の秘話〉 117〈吉備と出雲の征伐〉1 118〈吉備・出雲の征伐〉2 119〈播磨の制圧〉1 120〈播磨の制圧〉2
121〈生駒の敗北〉1 122〈生駒の敗北〉2 123〈紀伊で日前祭祀のお膳立て〉 124〈熊野上陸〉1 125〈熊野上陸〉2
126〈熊野村の戦い〉1 127〈熊野村の戦い〉2 128〈熊野家の祭祀〉 129〈熊野から北上〉1 130〈熊野から北上〉2
131〈日本に迫る〉 132〈日隈・日前・熊野家の先祖祭祀復興〉1 133〈日隈・日前・熊野家の先祖祭祀復興〉2 134〈日前宮と熊野三山〉
135〈日本王朝の滅亡〉1 136〈日本王朝の滅亡〉2 137〈黒塚古墳 〉1 138〈祭殿取り壊し〉 139〈橿原宮の造営〉 140〈日本武の北伐〉1
141〈日本武の北伐〉2 142〈日本武の北伐〉3 143〈日本武の北伐〉4 144〈黒塚古墳 〉2 145〈大和朝廷のはじまり〉1
146〈大和朝廷のはじまり〉2 147〈皇天二神を称える御陵〉 148〈宗廟の創建〉 149〈建国式と神武天皇の即位〉 150〈皇祖皇宗の祭祀〉1
151〈皇祖皇宗の祭祀〉2 152〈皇祖皇宗の祭祀〉3 153〈おわりに〉
記紀本来の系譜(本書の王系譜) 王朝の変遷 倭奴国王朝誕生〜大和朝廷成立に到る歴史のあらまし 邪馬台国 高天、狗奴国 相互への天降り
邪馬台国の変遷 倭奴国王朝誕生〜大和朝廷成立に到る歴史のあらまし2 【海部氏系図の本系図・勘注系図】の始祖彦火明 伊勢神宮の祭祀変遷