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KOJI OKAMOTO DESIGN OFFICE代表・デザイナー

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2015/10/25
岡本剛二さん
(37)
兵庫県新温泉町
KOJI OKAMOTO DESIGN OFFICE代表・デザイナー
新温泉町は、兵庫県の北西部に位置し、鳥取県に接している。内陸部は1000m級の山がそびえ、山陰海岸国立公園をはじめとする自然公園指定区域が面積の46.3%を占めている。

この町に生まれ育った岡本剛二さんは、憧れていたブランドのチーフデザイナーとなり、東京コレクションなどで活躍。3年前に故郷に帰り、KOJI OKAMOTO DESIGN OFFICEのアトリエを開いた。伝統技術や地域の資源を活かした洋服づくりは、全国のセレクトショップでの人気も高い。現在は、洋服づくりだけでなく、新温泉町の魅力発信や、Uターン・Iターン者のために移住しやすい環境を整えるなど、まちをデザインすることにも取り組んでいる。

KOJI OKAMOTO DESIGN OFFICE代表・デザイナー 岡本剛二さん(兵庫県新温泉町)

目次

夢は、画家からデザイナーへ

岡本さんは、子どものころから粘土細工や絵を描くことが得意で、中学生の時には、地元のマラソン大会のTシャツデザインコンテストで1位となった。初めてデザインしたものが形になったシャツは、その時の感激と共に、今も大切にしまっている。

中学生の時、デザインコンテストで1位になった麒麟獅子マラソン大会のTシャツ

中学生の時、デザインコンテストで1位になった麒麟獅子マラソン大会のTシャツ

長女・紗季ちゃんが幼稚園の時に描いた麒麟獅子の絵。紗季ちゃんの描く絵は、岡本さんも「かなわない」という。

長女・紗季ちゃんが幼稚園の時に描いた麒麟獅子の絵。
紗季ちゃんの描く絵は、岡本さんも「かなわない」という。

高校生の時には美術大学を目指した。夏休みになると東京や大阪へ、美大受験のための夏期講習に行っていたが、受けた刺激はファッションの方が強かった。受講生や街行く人たちのファッションに目を奪われ、興味は徐々にファッションに向いていく。そんな時にセレクトショップで「アバハウス」の服に出逢った。洗練されたデザインに心を奪われ、自分の前に道が開けたと感じた。進学先を美大からファッションスクールに変更し、卒業後、憧れのアバハウスを擁する会社「5351プールオム」に入社。アシスタントデザイナーを9年経験した後、チーフデザイナーとなり、5年間、第一線で活躍した。

高校3年生の時に県立浜坂高等学校の2階外壁に1人で描き上げた「虫の視点」

高校3年生の時に県立浜坂高等学校の2階外壁に1人で描き上げた「虫の視点」

故郷へUターン

東京でデザイナーとして仕事をしていた頃、帰省するたびに両親は但馬牛を用意して待っていてくれた。日頃食べられないような美味しい牛肉に舌鼓を打ちながら「この牛の皮は、どうなっているのか?」と考えた。肉と同じように資源になるのではないかと考え、但馬牛の服作りに取り掛かった。社内に「BLACK LINE」というサブラインを立ち上げていた岡本さんは、但馬牛の革でジャケットを作り、革をしなやかにするために、高温の湯で洗い上げることを思いついた。わざわざ湯を沸かさなくても、新温泉町は温泉処だ。源泉で洗う許可を取り、出来上がったジャケットを湯につけ、「BLACK LINE」の革ジャケットは完成した。

岡本さんは、新温泉町へ帰るたびに、シャッターを下ろした店が増えていくことに心を痛めていた。故郷を出て行った自分たちのせいだと責任を感じた。デザイナーとしての仕事は「東京である必要はない」

自分がこれまでに積み重ねてきた経験を活かして、大好きな故郷を元気にしたいという思いが募り、平成24年、家族と共にUターンする。「いつかパリコレに連れて行って欲しい」と言っていた中学校の同級生だった妻は少しがっかりしたが、いつ帰ってきてもアトリエにできるようにと、マンションの1階をガレージにして待っていてくれた父は、とても喜んでくれた。

新温泉町浜坂にあるKOJI OKAMOTO DESIGN OFFICE

新温泉町浜坂にあるKOJI OKAMOTO DESIGN OFFICE

アトリエの中。但馬牛、鹿、馬などの革ジャケットが並んでいる。

アトリエの中。但馬牛、鹿、馬などの革ジャケットが並んでいる。

故郷で独り立ちすることを決意したが、「なにもかも自分でしなくてはならない状況は不安だった」という。ありがたいことに、会社のスタッフが経営の相談に乗ってくれ、自分が作った「BLACK LINE」のブランド名は、独立後も使うことを許された。

東京で働いていた頃からもの作りにこだわり、産地に出向くようにしていた岡本さん。日本で見本を作り、海外で生産する企業が増えることが多くなり、技術を持った職人の跡を継ぐ人がいないことを憂慮していた。できる限り技術を形にして後世に伝えたいと、独立後はこれまで以上に伝統技術や産地にこだわったものづくりをするようになった。

西脇の播州織とのコラボレーションで作られた藍染のシャツ。

西脇の播州織とのコラボレーションで作られた藍染のシャツ。色落ちの速度が違う2種類のインディゴの糸を使っているので、着こむほどに風合いが変わっていく。ブランドタグにはブランド名を入れず、黒い1本の線が織り込まれている。デザイン帳に引いた1本のラインからイメージを膨らませていくことからブランド名は「BLACK LINE」とした。

ネット販売用に用意した写真は、自らが着て、アトリエで妻・舞さんがシャッターを押した。

ネット販売用に用意した写真は、自らが着て、アトリエで妻・舞さんがシャッターを押した。

帰ってきたい場所を自分たちで作る

岡本さんが帰ってくることを知った友人たちの中には、東京で成功して故郷に錦を飾るつもりなのかと、いぶかしく思った人もいた。しかし、岡本さんと会い、話をするうちに誤解が解け、離れていた時間が縮まった。子どもたちに「お父さんたちがこのまちを駄目にしたんだ」と言われたくないという思いを知り、共鳴したという。

保育園からの友人下田さん。

保育園からの友人下田さん。大学卒業後地元に帰ってきたが、働く場所がなく、鳥取で就職。新温泉町には、寝に帰るだけだった。「今は、香住で仕事をしているので、地元のことにも目を向けるようになった」

自分たちが大好きなまちを子どもたちにも好きになってほしい。地域の良いところを、住んでいる人たちに再認識してもらい、まちの活力を取り戻したいとアトリエを会場に、情報発信セミナーや異業種間の情報交換の機会を設けた。アトリエから交友関係が広がり、まちを元気にする取組が動き出した。

新温泉町の魅力を多くの人に知ってほしいと、中学の陸上部で一緒だった下田達也さん(36)と一緒に、町内の魅力を伝えるSNSサイト「地域を巡RUN?」の発信はその取組の1つ。ジョギングをしながら撮影した町の見所などの写真を紹介するものだ。

「車で通りすぎると見過ごしてしまうようなところを見てもらい、たくさんの人に来てもらいたい。走ってほしい」

SNSサイト「地域を巡RUN?」

SNSサイト「地域を巡RUN?」

子どものころは、田舎には何もない、魅力がないと思っていた。故郷を離れて、改めて新温泉町の良さを知ったという岡本さん。Uターン、Iターンしてきた人たちが住みやすいところにしたいと思うようになった。恵まれた自然、温泉、美味しい食材など、魅力はいっぱいあるが、働くところが少ない。

そこで、仲間とともに古民家の再生に取り組むと同時に、商工会に働く場所を紹介してもらい、移住者の生活の場を作る。さらに、地域の文化や風習、生活環境など役立つ情報を掲載したルールブックを作り、移住者が住みやすい環境を整えるなど、“まちをデザインする”ことにより、人を呼び込みたいと考えている。

「新温泉町には、ここにしかないすごいものがいっぱいある」

これから改修する家屋。

これから改修する家屋。庭の池を露天風呂にしたいと考えている。駅から500m、通りを挟んでスーパーマーケットや銀行がある。

一歩を踏み出す

実は、入社試験に落ちていたという岡本さん。その時、本社の社長に会いに行った。「他の人に負けたと思わなかったので、落ちた理由を知って、納得したかった」

希望するデザイナーの枠が空いていないと言われたが、どうしてもその会社で働きたいと熱意を伝えた。再試験を受けさせてもらい、パタンナーのアシスタントとして採用を勝ち取る。すると入社時にアシスタントデザイナーの枠に空きがでたため、結果としては希望していたデザイナーとして社会人のスタートを切ることができた。思ったことは口に出さないと伝わらないということが身に染みた。一歩踏み出して頑張る人は伸びる。諦めないことが大切だということを、機会がある毎に後輩たちにも伝えている。

岡本さんは、これからも“一歩を踏み出し”、ふるさとを「帰ってきたい場所」にするため、移住者の住みやすい環境を作り、地域の魅了を発信しながら、まちをデザインしていく。

一歩を踏み出す

(公開日:H27.10.25)

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