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株式会社 ビトーアールアンドディー代表取締役社長

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2014/05/25
美藤定さん
(62)
兵庫県豊岡市
株式会社 ビトーアールアンドディー代表取締役社長
美藤定さんが経営する株式会社 ビトー アール アンド ディー(BITO R&D)は、豊岡市中心部から車で20分余り、県立コウノトリの郷公園からほど近くの山あいにある。自然豊かな里山や田園に囲まれた地で、「世界一のクオリティーが標準」をモットーに最先端技術を駆使した製品が生み出されている。

美藤定さんは、かつてオートバイのレーシングメカニックとして世界のグランプリ・レースを転戦し、数々の栄光を手にした。昭和58年にふるさとの豊岡に戻り、それまでの経験と実績を生かしてレース部品の製造やチューニングを行う同社を創業、世界で初めて市販用の二輪用鍛造マグネシウムホイール「マグ鍛」を開発した。以来31年、いまや世界が注目する企業に成長している。

世界レベルの技術だけでなく、これまでのオートバイ人生で培われた哲学や、穏やかで前向きな人柄を慕って、全国から多くの若者が豊岡に集まってくる。

株式会社 ビトー アール アンド ディー 代表取締役社長美藤定さん

オートバイとの出会い

「子供の頃は劣等感のかたまりでした。勉強は出来ないし、体が小さくて運動はいつもビリ」

そんな美藤さんを魅了したのは小学校3年生の時に買ってもらった自転車だった。自転車は自分にプラスαの力をくれる。機械いじりが大好きで、その能力があることも発見した。

そしてオートバイに出会う。家計をやり繰りしながら母親が買ってくれた中古のオートバイで、高校3年生の夏休みに日本一周の旅に出た。そのときから人生が大きく変わっていった。

昭和45年、沖縄県伊江島に渡った美藤さんは、同世代のアメリカ兵たちと語り合う中で、多くの刺激を受けた。「徴兵制もなく、自由で開放的な日本。この境遇に感謝して、もっともっとチャレンジしなければもったいない」

こうして24歳で渡米した美藤さんが出会ったのは、オートバイ部品・用品メーカーであるヨシムラジャパンの創業者で、チューニング技術者としても知られる日本のオートバイ界の草分け、故吉村秀雄氏だった。氏のもとでレーシングメカニックの修行を積んだ美藤さんは、昭和55年、アメリカホンダにスカウトされ、グランプリチームにメカニックとして加わり欧米を転戦する。

そして、昭和58年にホンダを辞して、生まれ故郷の豊岡に戻り、BITO R&Dを創業した。

バイクにまたがって記念撮影

昭和45年、高校3年生。日本一周の旅の途中、北海道で

レーサーたちと当時メカニックだった美藤さん

昭和56年、ホンダのメカニック時代。米国・カリフォルニア州のラグナセカサーキットで

ふるさと豊岡でチャレンジ

「豊岡を出て世界を見たおかげで、自分と豊岡に不足しているものがわかったし、逆に可能性もはっきり見えた」

豊岡には工業集積や加工を依頼する下請け企業が少なく、交通アクセスも良くない。しかし、都市部に比べて同業他社が少ない分、業界の通念を覆すような思い切ったチャレンジに対して批判的な声が上がることも少ない。静かな環境の中で製品の研究開発に専念できるメリットは大きい。

そして何より、生まれ育った風土の中で、日本人であることやその感性のすばらしさを全身で感じながら暮らすことができる。

最初は製品を作る前の工作機械から自分で作らなければならなかった。しかし、そういったノウハウの積み重ねが、すべて今の仕事に生きている。

「厳しい気候風土も、常に戦わなければならない自分にはかえって良かった。イージーな場所ではそのイージーさが標準になってしまいます。それでは世界に挑戦なんかできません」

美藤さんの豊岡でのチャレンジは、平成11年に販売を開始した二輪用鍛造マグネシウムホイール「マグ鍛」として実を結ぶ。

それまで、レース用として使われていた鋳造製のマグネシウムホイールは、急制動と急発進を繰り返すレースの世界では軽さを誇り理想的な素材だったが、金属組成が粗く強度面で問題があることなどにより、市販には大きなハードルがあった。

美藤さんはそれを鍛造製にすることで、金属の密度を高めて強度の問題をクリアし、市販にこぎつけた。

現在、BITO R&Dの「マグ鍛」には、海外からも引き合いが殺到している。

二輪用鍛造マグネシウムホイール

世界で初めて市販用に開発された二輪用鍛造マグネシウムホイール「マグ鍛」(MAGTAN)

BITO R&Dの工場

豊岡市奥野にあるBITO R&Dの工場。手前はチューンアップした美藤さんの愛車

豊岡から世界一を目指す

若い頃世界に出て自分の可能性を見出し、それを様々な製品にすることで現実にしている美藤さん。それを可能にしているのは志と情熱と知恵だと語る。

「才能があるのにチャレンジせず現状に甘んじている人がいますが、僕みたいに豊岡という小さな地域に腰を据えて、小さな会社で世界を目指している人間がいることを知ってほしい。豊岡や日本で一番などといわずに、世界一を目指す企業がもっと出てきてもいいのではないでしょうか」

平成23年、美藤さんは豊岡市工業会の設立に尽力し、初代会長として工業振興やものづくり支援を通じた地域発展に大きく貢献した。現在は顧問という立場で会議に出席し、様々な助言を行っている。会議後の懇親会では、豊岡で頑張っている工業会の仲間に語りかけることも多いという。

「豊岡人はもっと世界に出てほしい。そして戻ってきてほしい」

中小企業が多い豊岡だが、産業振興に対する行政の意識は高い。地価が安いなど立地条件も良く、近年では豊岡に通じる高速道路など輸送インフラは急速に整いつつある。商品が世界水準に達していればマーケットも即座に世界規模となるIT時代。やる気と技術があれば、豊岡から十分に世界一を目指すことができる。そして、チャレンジが広がることで雇用が増え、若者の流出や過疎化を防ぎ、次世代にも繋がってゆく。

現在、美藤さんの会社では22人の社員が働いている。 社員はほぼ一様に「社長は元気で優しい」と答えるが、現場での美藤さんは厳しい。

「けっこうガミガミ言います。いつまでも僕がいるとは限らないし、自分で問題を見つけ、自分で解決してもらわないといけない。そのためにはヒントも出すし、叱責もする」

「これからの最大のチャレンジは人づくりです」と美藤さんは語る。

需要の増加を受けて工場用地や製造設備の拡充を急いでいる美藤さん。それに応じて社員の雇用も増やしていく構想を練っている。一旦技術を身につければお金になる。日々、社員の先頭に立って現場に立ち、身をもってそのことを示し続けている。

BITO R&Dの社員の皆さん

工場前ヤードに勢ぞろいした社員の皆さん。彼らの手で世界一の製品が作り出されている。

武器は日本人の感性

会社から車で30分ほどのところに美藤さんの別荘がある。近郷一帯を治めた元庄屋の屋敷で、日本文化の粋を集めた築百年を超える伝統的木造建築だ。荒れ放題だった屋敷を持ち主が手放すという話が出たとき、美藤さんは躊躇なく借金をして引き取った。以来、庭に楓を植えるなど、こつこつと手入れと改造を続け、見事によみがえった。

「世界と勝負する最大の武器は、日本人の瑞々しい感性だと思うんです。僕が作るマシンもこの古い屋敷も同じです。美しくなければ意味がありません」

屋敷を手入れすることとチタンの美しい手曲げマフラーを作ることには、同じ美学が脈打っている。

古い屋敷

築100年を超える屋敷の正面。石畳は美藤さん自ら一個ずつ並べた。

かたつむりのように

美藤さんの好きな言葉は「かたつむり そろそろ登れ 富士の山」

小林一茶の有名な一句だ。美藤さんは結婚式の式場で自らの誓いの言葉としてこの言葉を披露した。

以来、夫人と二人三脚で、文字通りかたつむりのように一歩ずつ、世界一という頂上への挑戦が続いている。

美藤さんご夫妻

豊岡人の夫人とともに。コウノトリ夫婦は二人三脚で世界一を目指す。

好きな言葉とともに

(公開日:H26.5.25)

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