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ネットワーク第139号 知事対談

大雅窯 外観 淡路人形座 外観
    
    知事対談 ふるさとの文化をつなぐ

 今回のテーマは「ふるさとの文化をつなぐ」。丹波焼 陶芸作家の市野雅彦(いちのまさひこ)さんと、淡路人形座三味線奏者の鶴澤友勇(つるざわともゆう)さんに、ふるさと兵庫の伝統文化の話題を中心に、知事と語り合っていただきました。
 

ふるさとの文化を受け継ぐ

市 野   私は篠山市今田町立杭という小さな山あいのまちで、やきもの屋の次男として生まれました。京都の嵯峨美術短期大学で2年間勉強した後、文化功労者の今井政之先生の下で5年間修行して、25歳で丹波に帰ってきました。27歳で本家から北に300mほど離れた所に「大雅窯」(たいががま)という窯を築いて独立しました。
 活動内容は個展が中心で、去年はこの兵庫県公館でさせてもらいましたし、今年は兵庫陶芸美術館で9月から5カ月間にわたり展覧会をさせてもらいます。
知 事  大雅窯の「大雅」には、どのようないわれがあるのですか。
市 野  丹波立杭は平安末期から続く産地で、丹波立杭陶磁器協同組合という組合もあり、そこに加入するときに窯名を決める必要がありました。昔から野球が好きで、ちょうど阪神タイガースが調子のいい頃だったので「たいが」。たまたま私の雅彦の「雅」が「が」と読めたこともあり、大きい雅で「大雅窯」にしました。
知 事  阪神タイガースにちなんで「大雅窯」ですか。
 それでは、鶴澤さんに、名前の「友勇」(ともゆう)が本名かどうかも含めて自己紹介をお願いします。

鶴 澤  「鶴澤友勇」は芸名です。私は淡路島の南あわじ市に生まれまして、地元の福井子供会の浄瑠璃クラブに入り、鶴澤友路師匠に教わりました。
知 事  師匠のお名前の「友」をもらったということですね。
鶴 澤  はい、そうです。小学校から高校までは、義太夫節で語る太夫(たゆう)をしていました。それから淡路人形座に入座し、三味線奏者をしています。
知 事  どうして太夫から三味線奏者に変わられたのですか。
鶴 澤  淡路人形座は、当時から後継者難で、三味線弾きの方がすごく少なかったので、入座が決まった際に勧められ、高校三年生から三味線を習い始めました。やってみると三味線の方が面白いと思うようになり、三味線弾きに転向しました。
 三味線といえば曲を弾くと思われますが、人形浄瑠璃はそうではなく、効果音であったり、そのときの気持ちなどを音で表現していきます。太夫はそれを「語り」で直接的に表現しますが、三味線は陰で太夫を助けながら表現します。それがすごく楽しく感じ、三味線をしてみたいと思うようになりました。
知 事  友勇の「勇」という字は勇気の「勇」ですよね。
鶴 澤  「勇」は自分の本名、泉裕子の「ゆう」からとりました。義太夫節は昔から男っぽい名前を付けるので、ちょっと勇ましいのですが、勇気の「勇」を付けてもらいました。 
知 事  お二人とも一緒ですね。大雅の「雅」は雅彦の「まさ」。友勇の「勇」は裕子の「ゆう」。
鶴澤友勇さん  井戸知事

伝統の上に作品をつくる
知 事  市野さんは、このお茶碗のように丹波焼の伝統も守りながら、すごく斬新なオブジェも作られますよね。
市 野  最近ようやく、丹波焼の伝統の上に今私が感じていることを形にできたらという思いになってきました。独立した頃は、丹波にいながら丹波焼の伝統とはちょっとかけ離れた、コンペで賞を狙うような作品ばかり作っている時代もありました。いろいろと賞をもらってきましたが、居心地の悪さも感じていました。そのような中で、丹波の風土の中で仕事をしている意味が、ちょっと分ってきたかなと思います。
知 事  丹波焼の良さ、伝統の一番の核となる部分はどういうところだと思われますか。
市 野  丹波はその時代時代を感じながら、生活の中に根ざした作品を作ってきた産地だと常に感じています。
知 事  生活から生まれ、しかもこのお茶碗のように、非常にすっきりしたオブジェですよね。
市 野  それは「赤ドベ」という丹波焼の江戸時代からの伝統的な釉薬(粘土等を成形した器の表面にかける薬品)と、「いっちん」という釉薬を竹に入れて筒書きする丹波の伝統をミックスした作品です。
知 事  これはなかなか面白いですね。鶴澤さんどうですか。
鶴 澤  早くこれでお茶を飲んでみたいです。
知 事  市野さんから若手の人へのアドバイスはありますか。
市 野  私たちの時代よりずっと大変な時代なので、彼らの方が必死で土と向きあっていると感じます。ただ、丹波は神戸から近くて観光客が来やすい立地条件の中で、お金儲けの手段としての売れる作品と自分が作りたい作品の線引きが一番難しいと思います。
知 事  二兎を追ってはダメですか。
市 野  そうではありますが、今の世の中は大変だからやはり上手にしないといけないです。
知 事  兵庫陶芸美術館は今年で開館10年を迎えます。10周年記念特別展の一番の目玉はやはり丹波焼です。夏・秋・冬の3回に分けてほぼ一年間、丹波焼の魅力をお楽しみいただけると思います。市野さんを含めた丹波焼の現代の陶芸家たちの作品も大いに展示したいと思っています。
市野雅彦さん  市野さんの作品

淡路人形浄瑠璃の魅力
知 事  鶴澤さん、高校の時は三原高校(現淡路三原高校)の郷土部ですよね。この部はすごく古いし、いろいろな人材を輩出してきていますよね。
鶴 澤  淡路人形座も、三原高校郷土部の出身者が多いです。
知 事  淡路人形浄瑠璃の人形遣いも太夫も三味線弾きも、三原高校郷土部出身が多いですよね。中学校にもクラブ活動がありますよね。
鶴 澤  中学校にも小学校にもあります。小学校は太夫の練習だけですが、中学校になったら、自分たちで三味線も弾いて、人形遣いもしています。
知 事  淡路人形浄瑠璃の魅力はどういうところでしょうか。
鶴 澤  まず物語を語る太夫がいて、語りを盛り上げて雰囲気づくりをする三味線弾きがいて、二人で浄瑠璃を演じる中に人形繰りの技芸が結びついたものが人形浄瑠璃です。淡路には大阪の文楽にない演目もたくさんあり、どんどん復活させたりもしています。太夫・三味線がすごくいいと人形とも自然と息が合ってきます。今はとてもいい専用の劇場を建ててもらい、多くの地元の方にも来ていただいています。狭い劇場なので舞台とお客さんが離れておらず、一緒になって楽しめるのが淡路人形浄瑠璃のいいところだと思います。
知 事  淡路人形座が福良港の見える所にできて、いろいろな舞台を展開されているのは、大変心強いです。現在、鳴門海峡の渦潮を世界遺産に登録してもらう運動を進めていますので、タイアップをしていきたいと思います。
戎 舞  登 窯

ふるさとでの取り組み
知 事  市野さん、立杭の里では登窯(山の斜面を利用したレンガ造りのトンネル状の窯)の修復作業が進んでいますよね。あれは明治時代の登窯ですか。
市 野  はい、そうです。全長47メートルで、焼成室が9袋あります。
知 事  地元からは一度遊びに来て、茶碗や皿を自分で絵付けして、焼いてもらったらどうかと言われています。いい思い出になりますよね。丹波伝統工芸公園「陶の郷」でも体験教室をしていますよね。
市 野   陶の郷では平成窯という、ちょうど平成元年にできた窯があります。
知 事  それでお客さんに素焼きや絵付けをしてもらうのですね。
市 野   絵付けもできますし、ヒモ作りなどの粘土細工や、窯焚きにも参加してもらえます。
知 事  やはり陶芸はのめり込むものでしょうか。
市 野  芸術はすべてそうかもしれませんが、奥が深い、本当に終わりのない世界です。テクニックを見せたい時代があったり、素材の方に目がいったりと、段階ごとにのめり込む要素がいっぱいあります。その中でも登窯で薪を使って焼くことは、なかなか経験できない世界です。
知 事  私もぜひ参加させてもらわないといけませんね。
 鶴澤さん、淡路人形浄瑠璃館ができて、随分いろいろな人が訪れたと思いますが、舞台で演じていて、お客さんの反応はいかがですか。
 
鶴 澤  すごく喜んでいただいていると思います。
知 事  どのような演目を上演されていますか。
鶴 澤  有名な演目は、「傾城阿波の鳴門」というお弓とおつるの親子の別れの話や、「壺坂霊験記」、復活した演目などです。月替り公演の間にいろいろなイベントもしています。特に今年は発足50周年でしたので、琵琶奏者にきてもらい平家物語を上演してもらうなど、あまり浄瑠璃に興味のない方でも来てもらえるような工夫もしています。
知 事  浄瑠璃に台本はありますか。
鶴 澤  太夫には台本がありますが、三味線弾きは全部暗記です。覚え書きの朱(ツボを朱墨で本に書き入れたもの)はありますが、それを見て弾いてはダメと言われています。
 西洋の楽譜のような何拍とかはなくて、ただ「いろはにほへと」で押さえる勘所(ツボ)だけで、長さが書いてないので、全部師匠から聞いて学ぶことになります。
知 事  一度それを楽譜化してみてはどうですか。
鶴 澤  何拍とか、ここはこれだけ伸ばすということが書けないですね。
知 事  料理教室のレシピはそのとおりに作っても何か足りないそうです。そこで、レシピを作った料理教室に習いにいくとツボが教えてもらえると聞いたことがあります。
 市野さん、陶芸にもそのようなポイントがあるのでしょうね。
市 野   釉薬にはきっちりレシピがありますけど。私の若い弟子に物ができていく中でこうするんだと指導したら、何センチか計る者がいます。数字化したいのでしょうが、そういうものではないのです。こちらが1ミリ変わると、あちらがまた少し変化する。その状況をいかに瞬間的に判断するか、そういう感性が必要です。
 

ふるさとの文化をつなぐ
知 事  最後に、子どもたちや自分たちに続く者へのメッセージをお願いします。
市 野  丹波焼の伝統的な産地として、今年は陶芸美術館が10周年を迎え、また今回の登窯を修復するイベントなど活性化の取り組みがされていますが、やはり環境は大事なことだと思います。整った環境の中で人が育ち、また人が環境を変えて、まちが変わっていく。そして子どもたちにとっても、居心地のいい誇れるまちになっていくといいなと思います。
知 事  やはり立杭がもっている独特の雰囲気が大事ですよね。ぜひ市野さん、そのようなまちづくりをリードしてください。
 鶴澤さんいかがですか。
鶴 澤  人形座も後継者難で、若い人が入ってもなかなか続かないところがあります。やはり地元に根付いてこそということで、私たちもワークショップで小学校を回ってレクチャーをしたりしています。人形浄瑠璃は難しいとか、敷居が高いとも言われますが、全然そうではないと思います。どんどん劇場に見に来ていただき、楽しいものだということを分かってもらいたいです。
知 事  両方の世界とも、ある程度体で覚えないといけない部分がありそうですが、覚えてしまうと創意工夫ができるようになる。最初の基礎能力を磨くときの忍耐力や我慢が必要なのかもしれませんね。
 今日はお二人からお話をお聞きして、違う世界であっても兵庫の文化を支えてもらっていることを実感させていただきました。ありがとうございました。