ひとつ戻る トップへ

ネットワーク第138号 特集

井吹台地域総合防災訓練 東日本大震災ボランティア活動

       特集 阪神淡路20年〜1.17は忘れない〜

 
 本年1月17日で、阪神・淡路大震災から20年を迎えます。
 兵庫県では、昨年4月から一年間、震災の経験や教訓を「伝える」「備える」「活かす」をテーマに、県民総参加による取り組みを展開しています。
 今回は、震災の経験・教訓を原点に活動を続けてこられたお二人が、知事と語り合いました。

        ひょうごボランタリープラザ
        井吹台自治会連合会
        兵庫県知事

所長  室ア  益輝 さん
会長  坂本 津留代 さん
     井戸  敏三
 

阪神淡路20年を振り返る

知 事  阪神・淡路大震災から20年の節目を迎えました。これまでの復旧・復興の取り組みなどを振り返られ、どのように感じておられますか
室 ア  20年前は50歳で、神戸大学に勤務し、防災の専門家として、兵庫県や神戸市の防災計画の策定にも関わっていました。しかし、阪神・淡路大震災では、その防災計画の不十分さゆえに、県民の命を救えなかったところもあり、その後の救援活動や復興活動の中で、責務を果たしたいとの思いが、私の活動の原点となりました。また、県民と一緒に考える必要性を痛感し、県民が集まるフォーラムに参加するなど、ボランティアやコミュニティリーダーなど多くの方と知り合い、この20年間一緒に取り組みました。
 現在は、ひょうごボランタリープラザやひょうご震災記念21世紀研究機構に勤めるなど、20年の経験・教訓の発信にも携わっています。
 震災は非常に辛いことであった反面、いろいろなつながりや、生き方が得られたことは良かったと考えています。
知 事  復旧・復興の過程で、行政だけでは前に進まないことが多くありました。被災者復興支援会議のように、現場に行って被災者やその支援者と意見交換するなど、現場を踏まえて解決しようとする姿勢を、行政自身が非常に学ばせてもらいました。

井戸知事

室 ア  震災は、その時代、その社会の持っていた弱さをさらけ出しました。その反省から復興はスタートしています。震災20年の一つの重要な動きは、新しい社会を作ってきたことです。例えば、ボランティア元年と言われ、いろいろな形で活動が広がり、現在は、県内に5千程度の住民団体があります。都会だけではなく、郡部の方にも広がっています。
 震災は、住民が中心となる社会であること、そして行政と住民が信頼関係のもと、連携して活動すべきであることも教えてくれました。参画と協働の仕組みができたのもその流れです。


新しいまちで活動する

坂 本  平成5年に神戸市西区の西神南に移り住みました。ニュータウンのため、自治会などの組織もなかったです。ゴミ捨て場の設置を行政に相談した際に、一人の意見ではなく、皆さんの総意を得るように言われて初めて、これまで地域の団体や組織に守られて生活していたことに気付きました。なければ立ち上げるしかないと、一軒ずつ回ってお願いし、当時の70世帯ほとんどが参加した総会を開けたことが、地域活動の始まりでした。
 阪神・淡路大震災では、地区内に仮設住宅が建ち、ボランティアとして友愛訪問をしました。その際、住人から「朝から何回人が来たと思っているの。この一週間は来なかったし、一体どうなっているのか」と叱られました。保健師など多くの見守りの方が、同じ日に訪問しており、初めて調整が必要なことに気づきました。また、災害復興住宅には、一人暮らしや高齢の方、障害のある方が住まれていることも、訪問して分かりました。
 叱られて気付いたことにどう対応するかを、みんなで考えることが活動の基になり、現在のまちづくり活動につながってきたと思います。

坂本 津留代さん

知 事  手づくりの活動をされてきたということですね。最初の取り組みは70世帯からでしたが、今の井吹台は大きな規模になっていますよね。
坂 本  現在は1万1000世帯程度で、人口は3万1000人を超えています。
知 事  マンションの入居者を、自治会や地域活動にどのように勧誘されているのですか。
坂 本  マンションの販売業者にお願いして、入居説明会の際に勧誘活動をさせてもらいました。また、マンションの総会の日には必ず行って、「皆さんが働きに行っている間、私たちは地域で皆さんの子どもを守ります。建物や道路・植栽のことも一緒に考えましょう。ローンを払って住むほどの値打ちのあるまちになるかは、お一人お一人の肩に掛かっています。一緒にまちづくりをしましょう」と繰り返し説明するなどして、自治会に加入してもらっています。
知 事  すごいですね。他の地域は、マンションの入居者が全然参加しないので、悩んでいます。
室 ア  東日本の被災地でもそうです。公営住宅を建てても、住民のつながりが全然ないのでどうすればいいかと。また、これからはマンションの時代で、東京や大阪の中心地では九割以上の方がマンション住まいになるのでなおさらです。 
坂 本   コツは販売業者と仲良くなることです。仲良くなれば、防犯カメラや掲示板の設置をはじめ、まちづくりにもいろいろ協力していただけます。
知 事  井吹台が成熟したまちになる過程は、震災の復旧・復興の過程と重りますね。復旧・復興の観点から、気を遣われたことはありますか。
坂 本   災害復興住宅の被災者としてではなく、ここに暮らす住人として、一緒に活動しましょうと何度も説明して、いろいろな行事を通じてまちづくりを共に考えました。


みんなで地域を守る

知 事  五百旗頭真先生が、西宮市の山田前市長に、犠牲者がほとんどいない地域と、犠牲者が出た地域の差をお聞きしたところ、「お祭り」と答えられたそうです。お祭りを通じ、みんな顔見知りだったので、住民が一斉にがれきの中から救い出せた。お祭りがない地域は、救出活動がうまくいかないという、極端な差が現実に出てきたそうです。
 例えば、東灘区ではだんじりが震災後に復活しました。井吹台でも、お祭りなどの行事はされていますか。
坂 本   20年ぶりに井吹きらきら祭りを復活しました。当時の小学生が作ったきらきら音頭も実施しました。すると、子どもを連れた当時の小学生が、参加しに戻ってきてくれました。
知 事  井吹台の自治会活動で、他に工夫されていることはありますか。
坂 本  若い住民が多いこともあり、できるだけ無駄をなくすため、会議も2か月に一回しかしませんし、一年の始めにそれぞれの担当や活動内容を決めるようにします。費用もこれに使われているからこの金額になると分るようにしておくと、若い方でも納得して加入してくれますし、パトロールにも参加してもらっています。
知 事  ミッションが明確だからですね。
坂 本  井吹台のコミュニティ活動の根本の一つになった井戸知事の言葉があります。テレクラ出店問題の際に、当時の井戸知事から「大きなハンコも大事だが、小さなハンコを集めて反対だとまち全体で言えることが大切」と言われました。署名運動をした結果、10日間ほどで3万人を超える署名が集まり、条例改正にもつながりました。やればできるんだ、市民一人一人の力は小さいけれども、皆の共感が得れば、まち全体が動くのだということを学びました。
室 ア  安全ということでは、地域はまさに共同体です。一人で頑張ってもダメで、みんなでしないと地域は守れません。
室ア 益輝さん
 そういう活動が本当に生まれてきました。県内では、古くからのまちも頑張っていますが、加古川グリーンシティ防災会など、新しいマンションでも防災活動にとても熱心です。震災の同じ経験をしているので、互いに理解し合う関係があり、そこに牽引車のリーダーがいると、活動がうまくいきます。
 復興の取り組みの中で、坂本さんのようなコミュニティリーダーや防災リーダーなど、次のコミュニティづくりの核となる地域の担い手がたくさん育ってきたことは、震災の財産だと思います。

対談場所:兵庫県災害対策センター 災害対策本部室

坂 本  災害復興住宅での活動は、お世話をしたではなく、学ばせてもらったという感覚でした。高齢化率が高かったので、いずれくる高齢化社会はここにある。この中で見守りがきちんとできれば、私たち全体のまちの見守りもできると感じました。我が事と思うと、本当に必死になってできますよね。
知 事  仮設住宅の多くが、神戸市西区や北区、ポートアイランドなど、被災した家と遠く離れた場所で整備されたこともあり、コミュニティ活動が分断されてしまいました。そのため、災害復興住宅等
では、みんなが集まることができるコミュニティスペースを、20戸程度に一箇所設置しました。多目的の利用スペースは、非常に意味があったと思います。
室 ア  仮設住宅にお年寄りから優先して入ってもらう善意からの措置でしたが、結果として元のコミュニティがバラバラになってしまった反省から、ふれあいセンターなどを設置したわけです。
知 事  高齢社会が来ると言われながらも、もう少し先だと思っていた矢先に、震災でまちが破壊されたことにより、長田などすでに高齢社会を迎えた地区があることが分かりました。
 高齢者が大勢被災され、その方々の見守りをどうするかが、大きな課題になりました。現在では、社会全体で高齢者を見守るシステムが定着してきましたね。
坂 本  井吹台でも、県から助成を受け、災害時避難者登録の冊子を全戸配布して、取り組みを始めました。平成24年度から災害時避難者登録制度を開始し、現在1500世帯の登録があります。8ブロックに分けて、自分の家の被害を確認した後、公園に集まり、要支援者の家を一軒ずつ回って、無事が確認できたら緑色のシール、確認できなければ黄色のシールをドアの前に貼るなど、3色で状況を区別する訓練を6500世帯で実施しました。
 この8ブロックは、これからの高齢化社会を見据えた、見守り活動のブロックになります。訓練を通じて、だれもが住みやすいまちにしたいと考えています。
知 事   阪神淡路20年事業では、一か月に4、5か所、防災士が地域と一緒に、防災訓練に取り組むイベントも実施してもらっています。
 このようにボランティアが地域活動にどんどん入り込む状況ができれば、地域力が強くなります。


新たな社会をつくる

知 事  室崎先生は、ボランティア活動などを長年見守っておられますが、復旧・復興の最初の10年と後半の10年で、活動内容の違いを感じられましたか。
室 ア  活動が進化しているのは間違いないです。私は、最初の10年と、後半の10年を、立て直しと世直しと区別しています。立て直しとは、最低限人間らしく生活できる状態にしっかり戻すことで、
最初の10年は立て直しが中心でした。
 そして、新しい社会を作るという、世直しが次の10年の大きな課題になったと思います。例えば、ボランティアが積極的に参加できる社会づくり。フェニックス共済のように、現金を前払いして資金を貯めておき、困った人を救う、助け合いの仕組みづくりの充実。NPOの活動でも、最初は仮設住宅の見守りなど、災害に特化したものから、獣害対策や、お祭りの復興、せせらぎの水路づくりや植樹など、後半の10年で多方面の市民活動に広がりました。私は、立て直しから世直しに移り、世直しからは次の未来を作る大きなステップになっていくという感じがします。
知 事  震災から20年経つことは、20歳年をとるということです。室ア先生は、震災時に50歳とのことですが、私が副知事になったのも50歳でした。
室 ア  最近、新野幸次郎先生とお会いした際、「私が阪神・淡路大震災のときは70歳だった。お前たちは若い、まだまだこれからだ」と言われました。高齢社会だからこそ、元気な高齢者が社会を支えることができるよう、地域活動に参加できる場をしっかり作ることが重要です。
知 事   井吹台では、後継者は育っていますか。
坂 本  ジュニアチームの子ども達が後を継いでくれると期待しています。共同募金活動やきらきら祭りなどを通じ、小学生には小学生の、中学生には中学生のできる地域活動があることを理解してくれていると思います。
 また、子ども達には、遠くに行っても、鮭のように卵を産みに戻って来てくださいとよく言っており、安心して卵を産み、育てられるまちでありたいと思います。
室 ア  県立舞子高等学校では、環境防災科を設けて若者を育てています。その若者が今度は小学校・中学校に教えに行くことで、防災教育の裾野がとても広がります。子供たちが防災について非常に学ぶ機会にもなるし、意識の向上にも役立ちます。
知 事  ぼうさい甲子園のように、学校ごとに生徒たちで考えた防災活動にも取り組んでくれています。
室 ア  昨年8月の丹波地域の水害では、県下の高校生がボランティアとして大勢駆けつけて、泥だしなどを一所懸命してくれました。20年の蓄積は若者にしっかり伝わっていると思いました。
知 事   南海トラフ対策にどう備えるかと大上段に構えなくても、復興の蓄積がそれなりに地域の中に根付いていると評価できるのでしょうか。
室 ア  基本的にはそうですが、放っておくと風化してしまいますので、蓄積された力を次のステップでどう生かすか目標を決めるべきです。
知 事  防災活動等を続けることは、震災の経験や教訓を風化させないことにつながるわけですね。


最 後 に

室 ア  多くの人に助けてもらった恩返しとして、日本全体、世界が本当に安全な社会になるよう、今度は我々がきちんと震災の経験と教訓を伝えるという、被災地の責任を自覚することがとても大切だと思います。
坂 本  地域団体の力は、高齢化とともに少しずつ落ちていくので、特性を生かし、連携を組みながら、自分たちでまちを守るという意識を持ち続けたいです。また、震災を知らずにこのまちに移り住んだ人たちを含め、住んで良かったと言ってもらえるような、まちづくりを続けていきたいと思います。
知 事  お二人から、復旧・復興の20年の体験に根差した素晴らしいお話と将来に対するメッセージをいただきました。
 これからもよろしくお願いいたします。