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ネットワーク第131号 特集

ウィズネイチャー(べこっこロールの販売) 神戸まちづくり研究所(被災者との意見交換)
    
       特集 支え合い、助け合う地域づくりを進めよう
     〜東日本大震災の支援活動を通じて〜


 東日本大震災の発生から1年4ヶ月が経過しました。仮設住宅での生活支援など復旧・復興には息
の長い支援が求められています。
 今回は、被災者の元気づくりや自立に向け活動をされているお二人が、「支え合い、助け合う、地域
づくりを進めよう〜東日本大震災の支援活動を通じて〜」をテーマに知事と語り合いました。

特定非営利活動法人 神戸まちづくり研究所
特定非営利活動法人 ウィズネイチャー
兵庫県知事

理事・事務局長 野崎 隆一さん
理事長      西森 由美子さん
           井戸 敏三
 

被災者支援の取り組み
〜阪神・淡路大震災から東日本大震災へ〜

野 崎  阪神・淡路大震災当時、私は建築事務所を経営していました。若い頃は、民間デベロッパーにいて、団地の開発やマンションの企画などの経験があったことから、被災地の白地地域(区画整理事業などの面的な復興事業がかからなかった地域)で、マンション再建や住宅の共同再建、市場の再建などの支援に取り組みました。こういうことをしたいと住民が自発的に考えたことを専門家として応援するという活動が中心でした。仲間も増え神戸復興塾という集まりができ、それを母体にNPO法人神戸まちづくり研究所をつくりました。
 東日本大震災では、発災から1週間後の3月18日にひょうごボランタリープラザの第1回先遣隊に参加して被災地に入りました。東松島市の野蒜の息を呑むような光景を目にしたことが大きなきっかけになり、支援活動に取り組むようになりました。
 気仙沼に行くようになったのは、友人の見舞いに行ったことがきっかけです。その後、兵庫県の専門家派遣制度により、これまでに10回現地へ行き、まちづくりのお手伝いをしています。
知 事  ひょうごまちづくり専門家派遣事業では、野崎さんに大活躍してもらっています。
西 森  阪神・淡路大震災当時、私は2歳の子どもの子育て中で、勤めを休むわけにもいかず、子連れで職場に行くなど、我が子を守るだけで精一杯でした。ガールスカウト活動もしていたのに、私自身何もできなかったとの思いがずっと心にありました。
 その後、子育て支援に取り組むなかで、ウィズネイチャーを立ち上げ、兵庫県の「子育てほっとステーション」や「NPOと行政の子育て支援会議」を受託するなど、親子や他の団体の皆さんとの関わりが広がってきました。そんなときに発生したのが東日本大震災です。今こそ何かできる時だと思い、子育て支援の5団体でネットワークを組んで、「神戸ぽけっとnet.」をつくりました。ポケットの中からアイデアをいろいろ出して被災地支援につなげたいという思いを込めています。
知 事  どんな支援活動をされているのですか。
西 森  最初はチャリティバザーの売上のほか、紙芝居や人形劇の入場料を義援金として被災地に送る活動をしました。それが新聞に取り上げられると、産婦人科医から、「福島から避難してきたマタニティママがいるけれど、その方が何も持っていない。産着などの赤ちゃん用品を何とかできないか」と問い合わせがありました。すぐにそのお母さんに会い、ネットワークで用意した生活用品などの物資をお渡ししました。入居されている市営住宅には棚も何もなく、支援団体にも相談されていない状況でした。6家族ほどと知り合いましたが、皆さん友達もおらず毎日母子だけで食事をしていることが分かり、昨年7月に私たちの事務所に集まってもらって、お好み焼き会を開催しました。
 私は阪神・淡路大震災のあと、自立できない人達を見てきました。その経験からも、支援に頼るだけではなく、早いうちに自分の道を見いだしてみてはと提案したところ、お母さん達もやる気になり、ロールケーキの販売も始まりました。
知 事  グループの中にケーキづくりのプロがいらっしゃったのですか。

井戸知事

西 森  みんな本格的なケーキづくりは初めてで、元町の「美侑」というケーキ屋さんと共同で開発しました。
 福島のママ達のグループは、「べこっこMaMa」と言います。「べこっこ」は東北弁で子牛のことで、「神戸っこ」にもかけています。ロールケーキも「べこっこロール」といって、福島の郷土玩具「赤べこ」をイメージした真っ赤なスポンジケーキです。毎週日曜日に新長田の六間道商店街で販売しています。

西森 由美子さん

被災地の現状と課題
知 事  野崎さんはずいぶん現地に入られていますが、1年4ヶ月が経って復旧・復興の進捗状況をどのように感じられていますか。
野 崎   行く度にガレキが片付いていくとか、通れない道路がだんだん通れるようになるなどの変化はありました。ただ、阪神・淡路大震災と違い、土地の方針がなかなか決まらないので、家の再建などはずいぶん時間がかかっています。

野崎 隆一さん

知 事  高台移転をブロック別に決めているから、ブロック内で移転したくない人、ブロック外でも移転したい人がいるなど、調整に時間がかかっているようですね。
野 崎  気仙沼市では、つい先日災害危険区域が決められました。家を流された人達は、当然危険区域に入るだろうと思って移転の準備をしていたのですが、一部の地域では防潮堤ができるので安全だと急に言われて困惑しているところもあります。今まで経験したことがない災害で国も県も大変だと思いますが、明確な打ち出しをしてほしいですね。
知 事  ぜひスピードアップして早く土地利用計画をつくり、対応してもらいたいと思います。
 西森さんは被災地に行かれましたか。
西 森  11月に3県をまわりました。ニュースや映像とは違う衝撃を受けました。復旧・復興にはまだまだ時間がかかると思いました。
知 事  私も3月18日に被災地に入り、名取市で避難所となっていた閖上中学校から仙台空港の南を見ましたが、本当にびっくりしました。ガレキの大海原なんですね。東松島市の野蒜や矢本でも、松島湾岸側は全部津波で持っていかれている、仙石線の北側は1階までがれきで詰まってしまっている。そういう状況でした。津波被害は大変なものだと実感しました。地震と津波、福島は原発があり三重苦となっています。
 西森さんの印象はいかがですか。
西 森  11月でしたが、がれきの山もまだまだで、本当に収束するのかなと思いました。ただ、福島県飯舘村の人達とも話しましたが、皆さん前向きで、次へ進む強い気持ちが感じられました。そこに至るまでの葛藤ははかりしれませんが、すごい人達だなと思いました。
知 事  福島では「べこっこMaMa」の関係者とは会えましたか。
西 森  会っていません。今は避難されている親子と地元に残っている方たちとの考え方や立場が違っていて、非常にデリケートな問題となっています。どちらも辛い状況ですね。


知 事  そういう意味では、「べこっこMaMa」を応援するウィズネイチャーの活動は非常に重要ですね。ぜひ、「べこっこMaMa」さんたちを励ましてあげてください。
 昨年、ひょうごボランタリープラザで東北から避難している方々と一緒に福島や宮城に災害ボランティアで行く計画をしましたが、後ろめたさみたいなのもあってか、ほとんど参加されませんでした。気持ちはあっても体が動かないということもお聞きしました。だからこそ逆に我々の方で温かく包み込んであげる必要があると思います。ぜひ引き続きの支援をお願いします。
 野崎さん、現地にまちづくりコンサルタントとして入られて、最近の動きはいかがですか。
野 崎  気仙沼では我々が支援しているところも含め十数地区で高台移転の大臣認可がやっと下りました。一方で仮設住宅入居者には取り残され感も出てきています。まとまりのいいところはどんどん決まっていきますが、自分たちはどうなるのかと。そこをどう支援するかが大きな課題だと思います。
知 事  復興住宅の整備がなかなか進んでいませんね。復興住宅の整備をしていかないと仮設住宅の方は安心されないのではないでしょうか。
野 崎  実は、仮設住宅を建てている場所が復興住宅の適地なのです。
知 事  ガレキを積んである場所も復興住宅の適地ですから、ガレキの処理も急がないといけません。
野 崎  行政による説明会が開催されているものの、聞きたいことをストレートに説明してくれない、わからないといった意見が数多く寄せられています。このギャップを埋めなければ前に進みません。そこで、我々が住民に質問・疑問を聞いて回り、我々なりの回答案をつくって市役所に渡し、それを修正してもらって回答として住民に返すということが好評でした。
知 事  そういう中間の橋渡し役が必要ですね。被災者の中で中心になるような人が出てこないと、なかなか動かない、まとまっていかないのではないでしょうか。
野 崎  東日本では地域の結束はすごくありますが、新しい事態が出たときに、みんなで意見を言い合うような雰囲気がありません。高齢の男性がリーダーで、女性はあまり発言せず、若い人は我々は我々という感じで高齢者とつながらない。地域コミュニティをどうまとめていくかがすごく難しいですね。

神戸まちづくり研究所の取り組み
沿革
 阪神・淡路大震災を機に結成した神戸復興塾が培った人的資源とネットワークのコアとしての機能を共有しつつ、計画的、持続的に復興まちづくりに取り組み、地域に根ざした独立独歩のシンクタンクとして活動することを目的に、平成11年に同会を設立。平成12年に特定非営利活動法人格を取得し、現在に至る。
 中間支援系NPOとしての活動支援と、震災後のコミュニティ形成等のまちづくり活動支援を中心に活動を展開。
主な取組
●震災体験現地交流プログラムによる研究者等への研修や修学旅行の受入
●市民活動団体に活動拠点や設備を提供するコレクティブオフィス事業の実施やマネジメント力強化を
  図るアドバイザーの派遣
●小規模作業所の運営等をアドバイスする事業サポーター制度の実施
●明舞団地活性化のための、まちづくりコーディネーターの常駐や明舞再生塾の活動支援
●各地域で地域再生について活動する団体・グループが課題を共有し、連携して課題解決を図る地域プ
  ラットフォームの形成(兵庫県地域づくり活動支援事業)
●兵庫県の専門家派遣制度を活用した、東日本大震災の復興まちづくりの支援
●NPOや市民活動団体からの相談受け入れ
●研究会の開催、パブリック・コメント提出、まち研ニュースの発行 など

知 事  これからの課題かもしれないですね。今後どうするかを考える際には、まず被災地のマンパワーが足りないという話が出ます。応援に来てくれと言われても、すべてに応えられるわけではありません。私はもっと広範囲で考えるなど工夫する余地があると思います。現地で雇う人がいなければ東京や神戸で募集すれば、その中からボランティア的に「じゃあ2年間やってやるか」という人が出てくると思います。
 また、県では、今年採用した県職員約100人を8月上旬に研修の一環として宮城県の被災地に派遣し、現地でボランティア活動をしてもらうことにしています。
 被災地を自分の目で見て、少しでも手助けができたという経験を持つことは、将来ずいぶん役に立つのではないかと思います。
 その際には、野崎さんにもご協力をお願いしているのですね。
野 崎  日程が合わず現地には同行しませんが、研修プログラムの企画立案のお手伝いをさせていただきました。研修生には、まず被災者の話を聞いてもらおうと思います。どんなニーズがあって行政に対しどのような思いを持っているかなどを聞いてもらった上で、住民とか被災者と向き合う力、理解する力を感じてもらえたらと思います。実際に被災地を見て、これだけの問題を行政としてもやらないといけないということを知ってもらうことはすごく大事だと思います。
知 事  やっぱりまちづくりは共同作業ですからね。行政だけではできないし、住民だけでもできない。一緒につくっていくのですからね。
 仮設住宅で取り残され感を持っている方にはどう対応されていますか。
野 崎  あわてる必要はないですよと言っています。「後になるほどいい知恵が出てきます。阪神・淡路の時もそうでした」と話をしています。仮設住宅でいいコミュニティを作り、仲良くなった人達で一緒に高台に行くとか、住まいを見つけたりする方がいいですよ。3年とか5年仮設にいても決して無駄な時間ではないですからと言っています。
知 事  そうですね、現実に兵庫県でも仮設住宅を解消するのに5年かかりました。まだまだ課題があると思いますが、これからも現地指導よろしくお願いいたします。

ウィズネイチャーの取り組み
沿革
 子育て中の母親の支援を目的に平成9年に同会を設立。平成18年に特定非営利活動法人格を取得。
 幼児期からの自然体験活動を中心に、親子向けの様々な野外活動プログラムを実施。また、親子のコミュニティスペースの運営や、兵庫県の「NPOと行政の子育て支援会議」※の運営業務や事務局を受託。
 東日本大震災では、子育て支援5団体からなる「神戸ぽけっとnet.」を結成し、県内避難中の子育て世帯の支援等を実施。
主な取組
●小学生対象野外教育プログラム「ホッパーズクラブ」の運営や自治体・幼稚園・保育園等の講師として
  自然体験プログラムの指導
●国土交通省「六甲山系グリーンベルトの森づくり」に参画し、ウィズネイチャーの森として親子対象プロ
  グラムを実施
●子育て情報の発信ポータルサイト「みんなe-net」の開設
●親子が気軽にくつろげるコミュニティスペース「親子deスペース」を新長田・六間道商店街の空き店舗
  を活用して開設
●東日本大震災の県内避難者支援として、母親同士の交流を深める「親子ごはん会」の開催や、避難
  中の母親たちのグループ「べこっこMaMa」がケーキショップとのコラボで開発したロールケーキ「べこ
  っこロール」の販売等に協力 など
※NPOと行政が継続して情報を共有し、協働して子育てや若者支援をしていく仕組みとして平成18年に
  発足。地域交流会や全県イベントの開催、情報誌の発行等を実施。

これからの活動について
知 事  最後にこれからどういう活動を展開していこうとお考えですか。
西 森  被災地に向けての活動も考えています。今、福島では子どもの遊び場から食べるものに至るまでを毎日考えなければいけないということがあり、大変な思いで生活されています。そして、そのような家族を支える子育て支援の団体がいます。スタッフの方たちは大変な気苦労をされています。その方たちやママたちに向けて「ビデオレター」や「往復書簡」ということを始めていきたいと思っています。これから年月が経っていきますが、いつもまでも「忘れていないよ」というメッセージを送り続けたいと思います。
野 崎  被災自治体も国も私たちも、最後の一人が復興するまで見捨てないというメッセージを送ることが必要ですね。被災地の人からは、神戸ではもうテレビや新聞で報道されていないでしょうと言われます。忘れられているに違いないと思っている方が多いということです。私たちは絶えず被災地のことを忘れていないというメッセージを送る必要があると考えています。
 また、阪神・淡路を経験していない兵庫の人達に復興の経験をできるだけ多くしてほしいと思います。それが次の災害には絶対生きます。どこでどんな災害が起こるか分からない時代で、決して他人事ではありません。職員の研修も大事ですし、そういう蓄積を兵庫の中でどれだけ持てるかというのも大きな鍵だと思います。
知 事  お二人から、大変貴重なご意見・ご体験を語っていただきました。東日本大震災の復旧・復興はようやくスタートを切って、少しずつ光が見えつつある状況ではないでしょうか。私達も同じ被災地としてこれからも支援をし続けていくことが大事だと思っています。