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ネットワーク第126号 特集

 
    
特集 多文化共生社会の実現に向けて

 今回のテーマは、「多文化共生社会の実現に向けて」。たかとりコミュニティセンターを拠点に、多言語センターFACIL(ファシル)の代表等として幅広くご活躍されている 吉富志津代さん と、英国総領事館勤務の傍ら、ミックスルーツ関西の代表として活躍されている 須本エドワードさん にお越しいただき、多文化共生社会を目指していくうえで、何が大切かについて知事と語り合っていただきました。
 

吉富










須本









知事


吉富

知事


吉富



知事


 私は震災前は南米の領事館の職員をしており、震災を機にたかとり教会にできた救援基地で、言葉がわからない被災者の方たちへの情報提供などのサポートを始めました。その後、救援基地はたかとりコミュニティセンターとなり、これまで様々なマイノリティの方たちを含む仲間とともに、地域活動を広げてきました。

 今、たかとりコミュニティセンターには、10言語で放送しているコミュニティラジオ、27言語の翻訳通訳センターがあります。また、子どもたちのための母語教室などを行っているグループ、アジアの女性たちの自立を目指しフェアトレード活動をしているグループ、さらには、「NGOベトナムinKOBE」というベトナムの人たちのコミュニティやラテンコミュニティもあります。


 一県民として、ミックスルーツというテーマでいろいろな活動をしています。ミックスルーツというのは「文化的もしくは人種的に混ざったアイデンティティを持った人たち」という意味の造語です。そのミックスルーツの人たちを中心に、多文化共生社会で特に大切な対話を促進するため、「体感できる社会対話」をテーマに活動しています。ただそれを難しく言っても伝わらないので、いろいろなボランティア活動と組み合わせています。
 私はベネズエラ生まれですが、兵庫県で育ち、阪神・淡路大震災の関連イベントなどを通して、ボランティア活動に参加してきました。たかとりコミュニティセンターとは、ラジオでの日本語と英語の番組や、チャリティコンサートで関わらせていただいています。


 お二人の素晴らしい活動をお話しいただきましたが、吉富さんの転機は阪神・淡路大震災ですね。

 そうです。

 ペーパーハウスを本拠地に、いろいろな活動を展開していただきましたが、やはりFMわぃわぃの効果や機能は非常に大きかったと思います。

 そうですね。情報が入手できることだけでなく、自分の国の言葉や音楽が公共の電波を通じて流れてくることで癒され、落ち着き、この街に自分が存在していることを認められたとという効果もあったと聞きました。

 そうですね。私はいつも災害視察団の皆さんに、阪神・淡路大震災の被害にあった神戸を中心とする地域では、本当に誇るべき行為があったと言います。一つは、略奪などが基本的になかったということ。もう一つは、日本人も外国人もみんなが一緒に助け合って危機を乗り越え、人と人との協力や助け合いの実践活動が展開されたことです。

 そういう意味で、須本さんのミックスルーツ関西のような、人と人との交流や助け合いの原点が、阪神・淡路大震災の経験の中にあるのではないかと思います。


NPO法人たかとりコミュニティセンター常務理事
NPO法人多言語センターファシル代表
 吉富 志津代さん
ミックスルーツ関西代表
 須本 エドワードさん


須本






知事










須本





知事


吉富



知事

吉富




 実はHAT神戸で防災に関わる国際機関で働いていたことがあります。そこでの経験が、今まで感じてきたことを新たな形で見つめ直すきっかけとなりました。私が携わっていたのは地域に根ざしたコミュニティ防災です。阪神・淡路大震災の経験を途上国に持って行き、「地域の人たちがどのように協力し合って災害のリスクを抑えるか」というテーマに何年も取り組みました。この経験を通して、地域の中で意思疎通を図ることが本当に難しいということと同時に、それを実現したときの効果はとても大きいことを学びました。

 今非常に不幸な事件が起こっています。例えば宝塚のブラジル国籍の中学生による自宅放火事件ですが、この原因はコミュニケーションギャップです。お母さんと子どもの会話が十分に成立していなかったのではないかと言われています。そのような意味で、家族のコミュニケーションギャップが起きている。そうすると地域や学校でのコミュニケーションギャップはもっと大きい。

 これに対し、我々はどういう手の差し伸べ方があるのかと非常に悩みますが、私は日本語教育と母語教育の二つに力を入れていかなければならないのではないかと思っています。大人も子どもも、日本語教育が受けられる機会をたくさんつくる。併せて、特に子どもたちにとっては、母国の文化や言葉を身につけないと「自分は何人(なにじん)か」という意識がなくなってしまうので、母語教育も充実しなければなりません。

 私は一般的にハーフといわれますが、何人(なにじん)であるかという定義以前に、我々は県民なんだ、神戸市民なんだという思いが一番強い。親子関係の中で両親のルーツが違ってくるとコミュニケーションをとることは難しくなるし、私自身もどうやって伝えたら良いのかと悩む時がありました。だから、少なくとも私たちのグループでは、交流イベントなどにはなるべく親子で参加していただくようにしています。

 親子で勉強や交流の機会に出かけられるような状況だったら、きっとあんな悲劇は起こらなかったのではないかと思います。吉富さんはいかがですか。

 私は、今おっしゃったブラジルの事件に関しては、日本の社会の問題だと思います。日本では今、親子間でコミュニケーションをとることが難しくなっているという問題があると思います。これは決して、外国人だけの課題ではないと思うのです。

 おっしゃる通り、親子の断絶の問題ですね。

 それとは別に、先程おっしゃっていた言葉の問題ですが、どんな子どもでも小さい時から自分の言葉を一つ持っています。それが例えば10歳で環境が変わって違う言葉を勉強しなければいけなくなった時に、どれが母語かがあいまいになるということがまず問題です。言語形成の問題と、アイデンティティの問題の二つの道筋を考える教育ができる社会は、とても成熟していると思います。


兵庫県知事
井戸 敏三


知事








須本





吉富


知事





 学校では、大勢の子どもたちの中の一人になるので、一人や二人のために専用の講座をつくることは、なかなか難しい。そうなると、学校の協力も得なければいけませんが、その地域の方々やあるいは吉富さんや須本さんのような、ボランティア活動的なグループの方々に協力していただいて、仕掛けをつくっていくことを基本にせざるを得ないのではないかと思っています。

 それと、よく多文化共生と言われるのですが、ことさら多文化共生と言わなくてもいいのではないか。そもそも、いろいろな方が地域に生活しているのが当たり前であり、ユニバーサル社会というのはそういう社会です。それで十分多文化共生なんじゃないかと思います。

 今の私の仕事は日英間の学術連携ですが、大学院レベルで目に見えて問題となっているのが、学生が留学に行かなくなっていることです。その理由の一つに、就職活動をしなくてはいけない、大学を一旦去ったら居場所がなくなるかもしれないという心配があるようです。ただ、多文化的意識を持つことは非常に大事であり、留学や国際的、多文化的なふれ合いは大事だと思います。

 そうですね。多文化は別に外国人のことだけでなく、例えばジェンダーや障害の問題、めったにならない病気になった方の問題など、いろいろな多様性の問題なのだと思います。

 加藤秀俊さんのアメリカ留学時代の本を読んでいると、引っ越した日にその地域のおばさんがやってきて、「英語のレッスンを何日から始めるので、子どもをきちんと寄こして下さい」と言われたというエピソードが出てきます。こういう仕組みがコミュニティの中に組み込まれているんです。日本の社会はまだそこまで到達していない。そういう仕掛けをどう上手くつくれば良いのかが、私の課題です。
 今の皆さんの目から見て、例えば県や市町村に、こんなことをしてもらいたいという事柄はありますか。



須本



吉富




知事




吉富



知事




 一言でいうとまちづくりです。例えば、その街に定住している人は人的資源であり、一定期間滞在しているだけの人もその街にとっての資源です。こうした人々がもっとふれあい、まちづくりに参加できる機会があれば、今後変わりゆく時代の中で、街が発展していくのではないかと思います。

 住民が自分たちの街でできることをする。その上で、ここは市や県でないとできないとか、ここのところはコーディネートしてもらおうとか、これは国レベルでやっていただきたいとお願いするとかいった政策提言をする。そのくらい住民が成熟するなかで、多文化の視点を入れると多文化共生社会の実現につながっていくと思います。

 今のお二人のお話は、多文化共生の観点からのご意見ですが、実を言うと、高齢社会に対する取り組みにも通じています。高齢社会の中でのコミュニティがどうあるべきかを考えた時に、今の社会や街がコミュニティ力を失いつつあることがわかります。それを地域コミュニティとして再構築していく取り組みと、多文化共生社会実現への取り組みとは同じことだと思います。

 そう思います。私たちが震災で本当に気づかされたのは、住民自治の意識だったと思っています。その中に多様性であるとか、少数派の人も一緒に生きているという視点を入れ込むことが大切だと思います。

 震災を知らない人たちの割合が3分の1になっています。そして3分の2の人たちも記憶が薄れてきている。どうすれば良いのかなと思うのですが、それはきっと須本さんや吉富さんの活動をみんながより多く知る、そしてお二人にはより大きく情報発信していただく、ということが大切だと思います。そのことが人々に震災の経験を思い出させ、知らない人には刺激を与えることになるのだと思います。